行動できないのは、思考の偏りが「頭でっかち」なあなたを作り上げているから。

      2017/09/22

ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

「わたしは、なかなか行動できないんです。」

そういった悩みを抱えているひとは少なくないのではないでしょうか?

 

そもそも、やりたいことがない。

具体的な、明確な意思がない、というなら話は別ですが、

やりたいこともあるし、何らかの意思があるのに行動できない。

そこには、一体どういう問題の構造があるのでしょうか?

 

多くの行動できないことに悩んでいるひとは、

思考ばかりを働かせてしまっているという傾向があります。

その思考の偏りが、あなたの行動を抑制している大きな原因なのです。

 

様々な体験を通じて、思考の質を高めていく。

そういったことができずに、頭に知識だけが突き刺さったままで、

思考ばかりを働かせてしまっている「頭でっかち」な

”わたし”で生きているのです。

 

大事なことは、体を通じて様々な体験をすること。

行動することによって、カラダで

色んなことを感じることができるようになります。

カラダで感じたことを、思考によって統合していくこと。

そういったプロセスが、あなた自身の世界を広げることになるし、

成長や進化をさせることにつながるのです。

 

 

 

思考の偏りが問題になる


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行動できないひとの特徴として、『思考ばかり働かせてしまう』

という特徴があります。

 

簡単に書くと、行動するためには

対象に意識(ココロ)が向かう→後から遅れてカラダが追従する

という流れがあります。

先走るココロに、遅れて移動するカラダが一致することが、

行動となるんですね。

 

 

それは、子どもを観察していると良く分かると思います。

子どもの特徴は、思考を介さないという特徴があります。

 

もちろん思考を介すことには間違いなのですが、

わたしたち大人よりも少ないということです。

少ないから、行動を起こすときの抑止力にはなりにくいということなんです。

 

行動を起こせないひとを図式化すると

対象に意識(ココロ)が向かう→思考を介する→カラダが対象に移動できない

という流れです。

 

つまり、行動できるひと、と行動できないひとの違いは、

思考を介入するのかどうか、という違いと

介入する思考が、カラダが対象に移動できないように

妨げるほどの抑止力となるのかどうか、ということの違いになります。

 

思考を介入しても、カラダが対象に移動することを

妨げるほどの抑止力がなければ、行動できるのです。

しかしながら、抑止力が強ければ、カラダの移動ができません。

だから、行動できない、ということになるのです。

 

 

前回のブログ icon-share-square-o では、思考ばかり働かせてしまっているひとは

行動に移せないことで、なかなか変わることができない

という話を書きました。

もちろん、頭で考える、

ということは大事なことではありますが

偏ってしまう、ということが問題なのです。

バランス良く思考を働かせるのであればいいですが

どうしても偏ってしまう、というのが

誰しもが陥りやすい問題でしょう。

 

 

損失回避

 

これから書くことが、すべてのひとに当てはまるということではないので

その前提で話を進めていきましょう。

頭で思考をグルグルとめぐらせてしまうひとは

過去の情報を引っ張り出してきて

その引っ張り出してきた情報をもとに

自分自身にとって、その行動が”得”なのか、”損”なのか

を考えて、行動の選択、判断を行っています。

そのときに、ベースとなるものとして

”損失回避”という概念があって、それが大きな影響を与えているのです。

自分にとって、得することについては

行動を制限するものや、ブレーキがかかりにくいが

自分自身が損をする、ということが予想されると

大きな抵抗や、制限をかけてしまうことになるのです。

また、自分自身が”得”をすると予想できていても

そこに不安や恐れの感情があると

現状維持を選択し、下手にリスクを冒さないという傾向があるのです。

頭人間の特徴は、過去の体験がある意味”すべて”

という感じになってしまっています。

その感覚は、頭人間だけではなく

わたしたち人類に共通することではありますが、

その傾向が、頭人間には強い、ということなのです。

 

思考ばかりを働かせて、損得勘定を行動の判断基準にしてしまうと

どんどん思考の偏りを強めることになり、「頭でっかち」な

”わたし”をカタチ作っていくことになるでしょう。

 

 

カラダでの体験が重要

 

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いくら言葉で説明しても

こちらの話、が入っていきにくい。

または、できないというひとがいます。

結局のところ

そのひと自身が、体験を伴わないことには、

本当の意味で理解できない

のです。

頭を使うのではなく

まずはカラダで体感する、ということが大事です。

ひとは、思考をするときに

頭だけで思考を行うのではありません。

カラダを通して思考をしているです。

だから、カラダで体感していない、

ということは、思考をするときの情報量が圧倒的に少なくなるし

偏ったフィルターでしか、物事を見ることができないし、

思考をすることができないというわけです。

こうした文章を読んでいて

言葉としては理解できるけど

感覚的には理解できない、というひとは少なくないでしょう。

それは、頭でばかり考えようとしてしまっているのです。

カラダを通しての体験がないから、体験をベースに

頭で考えることしかできない、というわけですね。

だから、知識だけを使って頭の中で、思考をグルグルさせている。

そんな状態に陥ってしまっているのです。

 

自分自身が、実際に

カラダで体感として理解していないから

頭とカラダがつながらないのです。

 

 

わたし自身は、感覚派の人間です。

だから、言語化は難しいけど、感覚的には色んなことを

理解できるという側面があります。

 

その一方で、頭では分かる。言葉としての理解はできるけど、

感覚的に理解できない、というひとも存在していますよね。

 

どちらが良いとか、悪いとか、そういったことではなく

どちらかに偏りすぎることが良くない、ということだけでしょう。

どちらから入っても良いけど

偏りすぎないように、感覚派のひとは、後から言語化できれば良いし

知識から入るひとは、後から体験をしていけば良い。

わたしは、そのように捉えています。

 

 

この話と関連して、色んな方とお話をしていて感じることがあります。

こちらの話が、相手になかなか入っていかないときがある、

ということがあります。

もちろん、そのひと自身の抽象度に合ったところまで

抽象度を落として話を展開はしようとしますが、

それでも入っていかない場合は

実際に体感してもらえるように

行動してもらえるように話をするようにしています。

言葉だけの理解では意味がない。

実際に行動し、カラダを通じて体感しないことには

本当の意味で、理解できないからです。

だから、言葉で通じないひとには

実際に体感してもらうように促していきます。

ひとそれぞれにタイミングというものがあります。

ひょっとしたら、”いま”が

それを理解するタイミングではないかもしれない。

また、言葉では理解できなくても

行動して体感することで

理解することができるかもしれない。

そこは、こちら側がコントロールすることではありません。

キッカケを与える、という側面では良いですが

そのひと自身が、自分で”気づく”ということが、もっとも大事なことだから

無理矢理、こちら側が教えるということは、

そのひと自身にとって良くないことなのです。

そのひと自身が、自分自身で”気づく”ということ。

そういった方向に導く、ということが大事なことだと考えています。

依存ではなく、自立すること。

色んな問題が起こっても

それを、自分自身で乗り越えていけるように

自立できること。

それが、対話を通じて目指すところの”ひとつ”であります。

 

 

まとめ

 

・思考ばかりを働かせていると、ココロとカラダの

 乖離を生み出すことになり、行動ができなくなる。

 つまり、行動しないための理由を考える、

 ということに思考が使われるようになってしまう。

 

・わたしたちが思考するというのは、カラダを通して思考しているので、

 カラダでの体験がないと思考するための情報が少なくなるので、

 どうしてもフィルターや思考が偏ってしまいがちになる。

 

・フィルターが偏ってしまう、ということは、

 自分の見ている世界を狭めてしまう、ということになる。

 

・いくら言葉だけの知識を詰め込んでも、

 それが体験を伴わないことには、本当の意味での理解にはつながらない。

 

・思考ばかりを働かせることに偏ってしまうと、

 頭とカラダが分離して、「頭でっかち」になる。

 つまり、バーチャルな世界での妄想ごっこをすることになり、

 行動に移せないから、現実世界は何も変わることがない。

 

 

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