怒りをコントロールできない”あなた”に贈る、「怒り」をコントロールするための方法!

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

「怒り」の感情って、なかなかコントロールできないものですよね。

だからこそ、悩み、苦しんでいるひとが多いと思います。

 

「怒り」の感情は、他のあらゆる感情の中でも、

最もエネルギーが大きいものです。

 

だからこそ、しょっちゅう「怒り」の感情を発生させていると、

どんどんあなた自身のエネルギーが奪われていくことになるのです。

 

エネルギー切れを起こしてしまうと、

理性が働かないから、感情のコントロールが効かなくなります。 

 

そして、ますます些細なことにも怒りの感情スイッチが入って、

エネルギーを漏らしていく。

 

そのように負のサイクルに入ってしまうのです。

 

 

「怒り」の感情って、一体なんでしょうか?

 

その構造を知ることで、あなた自身が

どのように対処していけば良いのか、を知ることができると思います。

 

そして、エネルギー切れに陥る、負のサイクルから

抜け出すことができるはずです。

 

 

怒りの目的

 

怒りには、目的があります。

 

わたしたちは、個々で「~するべき」「~しなければいけない」

といった固有の思考や信念を持っています。

 

その固有の思考や信念から、外れる出来事があったとき、

ひとは怒りの感情が起こるのです。

 

 

アドラー心理学では、怒りの目的というものを4つに分けています。

1・支配

2・主導権争いで優位に立つこと

3・権利擁護

4・正義感の発揮

 

これらの目的があって「怒り」の感情が起こっているのです。

 

 

あなたの中で、何の目的があって怒っているのか?

 

あなた自身が怒りの感情が湧き上がったときに、

「何で、わたしは怒っているのだろうか?」ということを考えてみると、

あなた自身が「怒る」目的がみえてくるでしょう。

 

 

このように、わたしたちの中には、これまでの人生の中で形成された

思考や信念といった、言わばプログラムを持っているのです。

 

そして、そのプログラムというのは、個々で持っているものは違うのです。

そのプログラムを、あなた自身で知る、ということが大事になってきます。

 

 

脳科学的には、ひとは感情を内側の脳(システム1)でつくって、

そこに理論を外側の脳(システム2)でつくるといわれています。

 

システム1、システム2という概念は、

心理学者のカーネマンというひとがそのように名付けたものです。

 

 

カーネマンのいう『システム1』は わかりやすくいうと、

思考のショートカットを行い、モノゴトを瞬時に判断するシステムのことになります。 

それは、動物的な脳であり、思考を介入していては、判断や反応が遅い、

という場面において働く本能的なシステムです。 

 

動物的な脳というのも、思考をする、という動物も中にはいますが、

ほとんどの動物が、本能的に意志や行動の判断を行っています。

(動物に意志はあるのか、という議論は専門家ではないので置いておいて)。

 

 動物的な脳とは対称に、人間的な脳ということでもあり、

それが、『システム2』 のことになります。 

他の動物とは違い、人間は脳が発達していることで

様々な論理的思考を行うことができます。 

 

だから、意志決定を行う際に、思考を介入して、

刺激に対する反応をどのように起こすのか、

ということを選択することができるのです。

 

 

カーネマンの概念を当てはめて考えてみると

システム1が、「怒り」という感情をつくり出して、

システム2が「怒る」ための理由を考え出すということになるわけです。

 

ある刺激(事象)があって、それをシステム1が「怒り」の感情を生み出す。

そして、「怒り」の感情が生み出されたものに、システム2が、

なぜ怒っているのかを理論づける、という流れになっているのです。

 

このように、ある事象があったから怒っている、というわけではなく

「怒る」という目的があって、

後から「怒る」ための理由付けを行っているのです。

 

これは、言葉で理解できても、

なかなか受け入れることができないひとも多そうですね。

 

 

 

怒ることで「快」を得ている

 

「怒り」の感情って、良くないものとして捉えられがちですが、

そもそも感情に「良い」も「悪い」もありません。

ある側面、偏った側面からみているから、

どちらかに偏ってしまっているだけなんです。

 

 

先ほど書いたことと重複しますが、構造を知るといった側面において

重要なことなので、もう一度書いておきます。

 

わたしたちは、「怒り」の感情が起こったとき

何らかの事象をみて、それに対して

自分自身の感情が反応することで怒っている、と思っています。

 

つまり、何らかの事象(原因)⇨怒る(結果)

という流れですね。

 

しかしながら、実際はそうではありません。

「怒る」という目的があって、そのための事象を探しているのです。

 

怒りたい(目的)⇨事象(手段)ということですね。

 

自分自身の見方が変わると、随分違ってくる、ということが分かると思います。

 

 

 

じゃあ、なぜ怒りたいのでしょう?

 

こういう概念がないひとからすると、「怒りたい」

って欲求が理解できないですよね。

 

「怒り」だけじゃないけど、感情を出すとエネルギーが漏れます。

そのときに、ひとは「快」の感覚を得られるのです。

だから、その「快」を得るために怒っているという側面があるのです。

 

日々の生活で、わたしたちは様々なストレスを抱え込んでしまっています。

そういった抱え込んだものを、どこかで出せたら良いのですが、

多くのひとは出すところがなければ、出す機会もないのです。

 

だから、自分の中にどんどん溜め込んでいったしまうのです。

その結果、これ以上は抱えられない、というところまでいってしまうのです。

そして、ココロとカラダに何らかの問題が、起こってしまう。

 

でも、そこに至るまでに、ココロは何とかしたいと思うわけです。

つまり、溜め込んだものを、何らかのカタチで出したい、ということです。

 

感情を出すということで、吐き出そうとしているのです。

 

 

溜め込んだものは、エネルギーです。

くすぶったマイナスなエネルギーとなってカラダに溜め込んでいる。

その溜め込んだエネルギーをカラダの外側に出したい、

と思っているのです。

 

だから、常に「怒る」理由を探している。

そして、怒るための手段が見つかったら、

ここぞとばかりに「怒る」という表現をするわけです。

 

 

「怒り」は大きなエネルギーである、ということを書きました。

そして、感情を出す=「快」を得られる、ということも書きました。

 

ひとは大きな刺激を求めています。

どうせ得るなら、大きな「快」を得たいと思うわけです。

 

そして、「不快」よりも「快感」の方を求めます。

日常がストレスだらけで、満たされることがないから

「快感」をより欲しますよね?

 

そういう背景があって、多くのひとは「怒り」を使っているのです。

このように、「怒り」は手段ですよね。

 

自分の中に溜め込んだものを、吐き出すための手段。

それを何らかの事象と結びつけることで、使っているというわけです。

 

 

このように考えてみると、「怒り」というものが

”良くないもの”とは思わないですよね?

ひとつのデトックスなのですから。

 

 

しかしながら、大きな「快」を得られる反面、

感情はエネルギーを大きく漏らす、ということを書きました。

感情的になればなるほど、あなた自身のエネルギーは枯渇していきます。

 

しかも、「怒り」の感情は、様々な感情の中でも大きなエネルギーです。

なので、「怒り」を多用していると、

簡単にエネルギー切れを起こしてしまうのです。

 

だから、「怒り」の感情を使って、あなた自身のカラダの中に

溜め込んだものをデトックスするという方法は、あまり健全ではないのです。

プラスの側面もあるけど、マイナスな側面もある。

その両面を知った上で、あなた自身が感情とどのように付き合うのか、

それが大事なことだと思っています。

 

 

 

感情をどのように扱うのか?

 

感情は有限であるエネルギーを大きく漏らす、ということを書きました。

 

ここで疑問を持つかもしれません。

 

「じゃあ、感情をなくすことが良いのか?」といった疑問ですね。

その気持ちは分かりますが、そうではありません。

 

人間は感情の生き物です。

感情があるから、人間らしさがある、と言っても良いほどです。

 

だから、感情を殺して、一切表現しないことは

無理があるし、現実的ではありません。

 

もし、感情をなくしてしまったら、それはそれで色んな問題が生じてきます。

周りのひとから、めちゃくちゃ冷たいひと、である

という印象を受けて、誰も寄り付かなくなるでしょう。

 

 

エネルギーという観点からみると

1日のうちで使えるエネルギーは有限だから、

なるべく漏らさないようにすることが大事になってくるのです。

 

そう考えたとき、感情というのは最もエネルギーを

漏らしてしまうことだから、注意しなければいけません。

 

具体的には、感情が湧き上がる、というのは避けられないことです。

だから、そこに対して、あなた自身が

何らかの対処をしようと思う必要はないのです。

 

 

問題は、湧き上がった感情に、あなた自身が巻き込まれてしまうことですね。

巻き込まれたが最後、感情を肥大化してしまって、

あなた自身が支配されてしまうのです。

 

重要なことは、湧き上がった感情に対して巻き込まれないこと。

そのために必要なことは、

感情との距離感を保つ、ということでしょう。

 

 

距離感が近すぎると、簡単に巻き込まれてしまいます。

遠すぎると、他人事になってしまいます。

 

言葉ではうまく言い表せませんが、適切な距離感というものがあります。

それぞれの事象に対しての適切な距離感です。

 

どれも同じような距離感で良い、ということはあり得ません。

瞬間瞬間で移り変わっていく中で、適切な距離感を取ることができる。

その状態を目指して欲しいと思います。

 

 

感情をニュートラルに捉えること。

 

これが大事ですね。

 

 

多くのひとは、これができないから、

簡単に感情に巻き込まれてしまうのです。

 

距離感を適切に保つことができれば、湧き上がる感情を、

”ただの事象”として捉えることができます。

「いま、わたしは怒りの感情が湧き上がったんだ」ということです。

 

わたしは、”怒りの感情が湧き上がっている”、

という事実のみに焦点が当たっています。

 

 

しかしながら、事象として捉えられず、感情に巻き込まれてしまうと、

どうなるのかというと、

「わたしは怒りの感情が湧き上がった。わたしは怒っているんだ」

ということになり、そのままあなた自身が

怒りを表現することになってしまうわけです。

 

 

つまり、「怒りの感情が湧き上がった」という事実を通り越して、

「わたしは怒っている」という思い込みに発展してしまうことになるのです。

 

このように、ある感情が湧き上がったときに、距離感が近いと

その感情が、あなた自身の思考をも支配するようになります。

 

 

感情は本来、瞬間的なもの、一過性のものなのです。

だから、時間の経過とともに、なくなっていくものなのですが、

感情が思考を支配したとき

それは、現在という時系列を通り越して、

未来に持ち越されてしまうのです。

 

つまり、感情が消えずに、思考の中にいつまでも残り続けている、

ということですね。

 

実際は、感情が思考を支配したとき、

”感情もどき”になっているだけであって、感情が残っているわけではありません。

感情のような思考がいつまでも残り続けているだけあって、感情ではないのです。

 

本来、感情は持ち越せないものなのですから。

 

 

先にも書いた脳科学の話で考えてみましょう。

 

ある事象があって、その事象に対してシステム1が感情を発動させます。

そして、システム2が「なぜ、怒るのか」の理由付けを行う、という流れでしたね。

 

 

これが、わたしたちは思考を介することなく、

自動的に行われているプログラムなのです。

言わば、オートプログラムが発動されている、ということでしたね。

 

このオートプログラムを解除しないことには、

「怒り」の感情をコントロールすることは不可能でしょう。

 

 

じゃあ、このプロセスの中で、

わたしたちが介入できる部分があるとしたら、どこになると思いますか?

 

 

システム1は、動物的で、本能的なシステムなので、

そこに意識を介入してプログラムの解除を行うということは難しいですね。

時間的にも、瞬時に行われる反応なので、目の前の事象を目にしてから、

「さあ、どうしようか?」なんて考えている暇はないのです。

 

だから、わたしたちが介入できる部分があるとすると、システム2の部分ですね。

システム2は、人間的、論理的なシステムのことでした。

 

つまり、時間的にも瞬時に行われるものではなく、

自ら考える、思考する時間がある、というわけです。

だから、システム1で、たとえ「怒り」の感情が発動したとしても、

 

論理的に思考することで捉え方を変えることができるわけです。

 

「怒り」の感情がコントロールできない、というのは、

システム2で「わたしは怒っている」ということの理由付けを行ってしまうからでしたよね。

幸いながら、システム2では、思考を介すことができるので、

「わたしは怒っている」という理論付けをすることもできるし、

そうじゃない選択もできるということです。

 

そうじゃない選択をするには、先ほどに書いたように、

目の前の事象によって湧き上がる感情との距離感が適切な距離感を保つことができている、

という前提条件が必要になってきます。

 

 

距離感が近いと、簡単に感情に巻き込まれてしまうので

システム1で発動した「怒り」の感情に対して、

システム2で、その理由付けを行ってしまうからです。

 

何の抵抗もなく、「怒り」の感情を発散させることで「快」を得られるのですから、

システム2は「怒り」の理由付けを”すんなりと”行うでしょう。

でも、確かに「快」を得られるけど、大きくエネルギーを漏らすから、

それはやめておこうという選択もできるわけです。

 

このように、システム2の在り方を変えることで、

「怒り」の感情は、”ただの事象”として処理されることになります。

 

「あっ、怒りの感情が湧き上がっているんだ」という事実だけをみれる。

 

そして、「怒りたがっているんだ」とも捉えることができるようになりますね。

「怒りたがっているけど、それを出してしまったら大きくエネルギーが漏れるからやめておこう」

とシステム2で処理することができるのです。

 

それは、つまり「怒り」の感情に支配されないということであり、

「怒り」の感情をコントロールできた、ということでもあるのです。

 

 

ただし、エネルギー切れを起こしてしまっていると、

このように冷静な対処はできません。

このような対処をしようと思ったら、視点を高くする必要があるからです。

 

言い換えると、抽象度を上げる、ということでもあります。

 

目の前の事象に巻き込まれずに、視点を上げる、

ということは慣れないうちは難しいです。

簡単に、目の前の事象に巻き込まれてしまいますから。

 

巻き込まれないためには、距離感が大事ですね。

これは、先ほどにも書いたことです。

 

 

視点を高くする、ということはエネルギーが必要になってきます。

なぜなら、いま、見ている時点よりも、

位置エネルギーを高い位置に持っていく必要があるからです。

 

エネルギーは高いところから、低いところへ流れる、

という法則があります。

だから、いまよりも高いところへ移動しようと思ったら、

コストがかかるわけです。

 

視点を高くする、抽象度を上げる、

ということを言葉で書くとイメージしにくいかもしれません。

 

 

分かりやすく言うと、地面にコインが落ちていて

そのコインを10センチの高さで見るのと、1メートルの高さで見るのと、

10メートルの高さで見るのでは、見える世界は全く違ってくる、

ということです。

 

高い方が、より広い世界で見ることができますよね。

 

つまり、余裕がある、ということです。

 

細かな部分は、見えなくなりますが、

全体は見渡すことができるようになりますよね。

 

大事なことは、視点の上げ下げ、抽象度の上げ下げが自由にできる、

ということなのです。

 

 

それができるようになると、細かな部分も、全体も、見れるようになる、

ということなのです。

 

低いままだと、細かなことしか分かりません。

高すぎると、細かな部分は見えなくなるかわりに、

全体は見渡せるようになります。

 

偏る、ということは、逆の部分が見えなくなるということを意味するのです。

 

 

だから、自由に行き来できることが大事なのです。

そのためには、エネルギーが必要ですよね?

 

下げるには、エネルギーはかからなくても、

一度上げないことには、下がれないのですから。

移動が必要になってくることには、変わりありません。

 

だから、移動するためのエネルギーコストは必ず必要なのです。

 

 

まとめ

 

・「怒り」の感情をコントロールするには、

感情との距離感を適切に保つことが重要である。

 

・感情はニュートラルに捉えらえることが大事であり、

湧き上がる感情に巻き込まれず、意味づけもせず、

ただの”事象”として捉えることが重要である。

 

・感情に巻き込まれないためには、高い視点、抽象度が必要である。

さらに視点と抽象度は自由に高さを行き来できる状態が望ましい。

 

・「怒り」の感情を発散してしまうと、大きくエネルギーを

漏らしてしまうことになる。

その結果、エネルギー切れに陥ってしまい、

些細なことで感情のスイッチが入り、感情に支配されてしまう。

 

・目の前の刺激(事象)に対して、システム1で起こった感情を、

システム2で理論付けするプロセスがある。

 

その中で、システム2の部分において自分自身が感情に対して

どのように意味付けするのか、

そこに思考を介入することであなた自身の中で湧き上がった感情を

発散させずに済むようになる。

 

つまり、感情に巻き込まれずに、コントロールできる、

ということになる。

 

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