嫌われても良くない?人間関係で悩めるあなたに伝えたいこと。

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

人間関係で悩んでいるひとって、たくさんいますよね?

その中でも、自分が嫌われているんじゃないか

ってことで悩んでいるひとって多くないですか。

 

そもそも嫌われる、って良くないことなんですか?

 

わたしには、よく分からないんです。

 

 

なぜって?

 

それは、昔からひとと合わせるとか、

ひとと同じことをするっていうのが、めちゃくちゃ嫌だったからです。

別に、集団からはみ出ようが、何とも思わなかったです。

 

「ひとに迎合する=自分を殺す」、ってことじゃないですか?

 

はみ出て、冷ややかな目で見られるよりも

周りに迎合して自分を殺すことの方が、苦痛だったから

わたしに取って、”嫌われる”ってことは、別に大したことではないんです。

 

 

逆に言うと

多くのひとって、周りの目をめちゃくちゃ気にしていて、

嫌われたくないがために自分を殺して生きているじゃないですか?

それって、生きている実感を感じられてるのかな、

って思っちゃうわけです。

 

自分を表現できずに生きていくことが、

あなた自身が本当に望んでいることなんでしょうか?

 

本当は、自分という存在を表現しながら生きていきたいって

思っているはずでしょ?

 

嫌われたくないから、周りに迎合しながら生きていくって、

自分自身で悩みや苦しみを生み出しているんです。

そのことに気づいた方がいい。

嫌われたって、そんなに大したことがないんですから。

 

自分らしく生きようと思ったら、

嫌われることって、たくさんあるもんなんです。

 

 

 

はみ出してはいけない洗脳

 

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日本人って特に、”和”を重んじる文化があるから、

集団や組織の”和”というものを大事にする傾向にありますよね。

 

だから、幼稚園や学校などに通うようになると、和を乱してはいけない。

集団生活の中で、そのように洗脳されるわけです。

 

 

つまり、そこで、はみ出してはいけない、

という価値観を植え付けられるということになるんです。

 

そうやって、周りと合わせることが当たり前の生き方になっていって

自分自身がはみ出ていると、自分は悪い人間である、

という意味不明な思い込みを抱いてしまうんです。

 

まあ、それはある意味仕方のないことですよね。

 

 

周りの価値観に合わせようと思ったら、

はみ出ること=ダメなこと

という世界で生きているのですから。

そうやって、個性が削がれてしまうわけです。

 

競争化社会の中で、優劣は付けられるけど、なるべく同じことを求められる。

 

そこに違和感を感じずに生きているひとが、とても多いから、

どんどん不感症の人間を量産しているという側面もあります。

 

 

 

はみ出し者は嫌われる。

 

確かにそういった側面がありますが、別の視点からみると、

本当は皆”はみ出し者”になりたいという願望があるから、

そういったひとを見て実は羨ましいと思っているんじゃないでしょうか。

自分ができないからこそ、

それを体現しているひとのことを見て、嫉妬しているだけなのです。

 

 

その代表格は、赤ちゃんです。 

 

自分の欲求をありのままに表現しているでしょ? 

もし、あなた自身が、

赤ちゃんのように自分自身を存分に自己表現しながら生きることができたら、

どうでしょうか?

 

様々な欲求や感情を、少なくとも抑圧し、

自らの内側に閉じ込めることはないから、

いまよりも、はるかに自由な境地で生きられるでしょうね。 

 

そんな赤ちゃんをみて、『なんて、ワガママなやつなんだ!気にくわない』

なんて思って、嫌いになったりはしないですよね? 

 

一時的には育児疲れを抱えて思うことはあっても、

ずっと思うことはないはずです。 

 

どちらかというと、赤ちゃんの生き様をみて、

『無邪気だな』とくらいしか思わないんじゃないでしょうか?

 

 

潜在的には、あなた自身も、赤ちゃんのように無邪気な存分であり続けたい。

そう思うからこそ、惹かれるんじゃないでしょうか。

 

それと同じことで、嫌われているひとが、あなた自身

中には、自己中心的な生き方に偏っているひともいるから、

そういったひとのことはここでの話に含まれていません。

自己中心的なひと、自我の塊、みたいなひとは、ここでの話においては対象外です。

 

ここで言っているのは、周りに迎合することなく、

”自分自身を大事に生きているひと”のことを指してます。

 

 

 

自分らしく生きると嫌われる


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嫌われる、という現象をみると

あるひとに取っては受け入れられないから、嫌われているけど

別のひとからすると、何ともない、ってことはよくあることです。

 

あなた自身という存在を、相手がどのように感じるのか、

ということでしかないのです。

 

その部分は、こちらがコントロールできる問題ではありません。

相手次第なのですから。

 

 

だから、たとえ誰かに嫌われたとしても、

別に全世界のひとに嫌われているわけではないのです。

でも、あたかも、あるひとに嫌われるということが、

”世界の終わり”みたいな捉え方をしてしまっているひとは少なくないですよね。

 

相手に受け入れられない側面があるというだけであって

全てが受け入れられない、ということではないでしょう。

ある側面だけを切り取って、

受け入れられないから、「嫌い」って言っているだけだと思うのですが。

 

嫌われたくないからといって、関わるひとに迎合して生きていると、

一時的には安心感を得られます。

迎合していれば、嫌われはしないですからね。

 

 

でも、いくら迎合しても、表面的な部分でしか満たされていないわけです。

表面より下の部分には、常に大きな不安が隠されている。

そんな状態で生きていて、とてもじゃないけど生きた心地はしないでしょう。

 

なぜなら、あなた自身を抑圧しているのですから。

 

あなた、という存在を表現できずに生きていくことは、

めちゃくちゃ苦しいはずです。

 

 

 

人間関係が壊れる

 

人間関係ってキーワードで検索しているときに見つけたのですが、

面白い記事を見つけました。

脱!“人間関係デストロイヤー”人たらしの極意とは icon-share-square-o 

 

以下、記事の一部を転載したものです。

ワシントン大学の名誉教授で、人間関係の研究で有名なジョン・ゴットマン博士の唱える「ゴットマン比率」を紹介しましょう。博士は、ネガティブなこととポジティブなことを言う比率がある一定を超えると、人間関係が壊れやすいと言っています。

この比率が「ゴットマン比率」です。その比率は関係性によって異なり、その詳細は以下のとおりです。

(ポ=ポジティブな言葉 ネ=ネガティブな言葉)

(1)親子…ポ3:ネ1

(2)上司と部下…ポ4:ネ1

(3)夫婦や恋人…ポ5:ネ1

(4)友人…ポ8:ネ1

(5)スポーツクラブのコーチと教え子…ポ10:ネ1

(6)店の従業員と客…ポ20:ネ1

親子なら3回ほめていれば1回叱っても関係に亀裂は発生しないという見方です。

上司から認めてくれる発言が4つあれば、1つの注意も素直に聞けるといったところでしょう。

夫婦や恋人同士は5:1。日頃相手をほめ、感謝を伝えていないと別離の危険性が高まってしまいます。

 

 

これを読んでみて、あなたはどう思いますか?

 

あくまで、統計です。

人種も違っているので、日本人に当てはめて考えたときに、

果たしてどういう結果になるのかは不明ですが。

 

こういう情報を、人間関係で悩んでいるひとは、何かの参考にするのでしょうか?

 

または、ある意味マニュアル的に使うのでしょうか?

 

親子なら、3回ほめたら、1回は叱っても大丈夫って思いながら、

この法則的なものを使うのでしょうか?

 

 

もし、そういうひとがいたとすれば、それは怖いですよね。

そういうひとは、一体誰をみているのでしょうか?

目の前の、ひとりの人間と向き合わずして、

情報をもとに関係性を築こうとしている。

 

人間って、そういったマニュアル的なもので対応すべき存在なのでしょうか?

また、対応できる生き物なのでしょうか?

 

大事なところが、思いっきり抜け落ちてしまっていると思うのは、

わたしだけなんでしょうか。

 

本当に大事なことは、

目の前のひとと真剣に向き合って、

その結果信頼関係を築くことなんじゃないでしょうか?

 

本当に信頼関係が築けていたら、

こういった数値で、相手と関係しようなんて思わないはずです。

相手のことを思うからこそ、厳しい言葉もかけれると思うし、

わざわざ相手に迎合しようなんて発想は生まれないのではないかと思います。

 

 

相手に嫌われることが怖い。

そういった恐怖というものが背景にあるからでしょう。

 

ひとは、何かしらのコミュニティや組織に属して生きています。

言い換えるならば、

そのコミュニティや組織に所属している、

ということが安心感につながっているわけです。

 

だから、そのコミュニティや組織から”はみ出る”、ということが

自分自身の居場所がなくなる、存在価値がなくなる、

という怖れがあってのことだと思うのです。

 

だから、ひとから嫌われたくない。

嫌われる=所属できない、みたいな図式ですね。

 

 

でもね、相手に嫌われたくないからといって、

差し支えのない関係性を築いていても、

相手と深いところからのつながりは得られないのです。

だから、本当の意味で安心感は得られないのです。

 

多くのひとは、自分自身とのつながり、一体感を持てないから

自分の中で、安心感をつくり出すことができないわけです。

 

 

だから、外側に求めてしまう。

その矛先が、自分が所属しているコミュニティや組織ということになるのです。

所属していることで、

ひとそれぞれに程度は違っているけど、安心感を得ることができる。

 

そうやって、一時的な、表面的な安心感を得ようとしているのです。

 

 

 

少し話を戻して、

先ほどにも書いたように、相手のことを思うからこそ、信頼しているからこそ、

厳しい言葉も投げかけることができると思うのです。

そういった想いって、伝わるはずです。

 

もし、それが伝わらずに嫌われたとしても、

それはそれでいいんじゃないかと思うのです。

いますぐには伝わらなくても、いずれ分かるときが来ると思うのです。

相手にとって、

”いま”がそれを受け取る、受け取れるタイミングではないかもしれないのですから。

 

これも、相手をコントロールできる部分ではないので、

どう受け取るかは相手次第です。

無理矢理、こちらが介入する、押し付ける必要はないのです。

 

しかしながら、多くのひとは、「課題の分離」ができずに、

自分の課題と他者の課題をごちゃ混ぜにして、

自ら問題を抱えてしまっているのです。

 

「課題の分離」というのは、その課題に対して最終的に誰が責任を取るのか、

という視点で考えるということです。

自分の課題だけならまだしも、

他者の課題にまで首を突っ込んでしまっているというひとは少なくないのです。

 

 

人間関係が崩れる。

それって、崩れないこと、崩さないことが前提の世界で生きているから、

おかしなことになってくるんですよね?

 

崩れるってことが悪いことである。

そういった図式の世界で生きているということです。

 

でもね、崩れるから、また新たな関係を構築することができる、

という側面もあるわけです。

崩れたから、新たな環境に身を置くことになって、

新たな人間関係を築くこともできるという側面もあるのです。

 

 

ただ、ひとつだけの現象にとらわれて、

世界を狭めてしまうのは非常にもったいのないことだと思いませんか?

 

 

 

まとめ

 

・嫌われるっていうのは、悪いことではない。

むしろ、自分自信を表現しながら生きている、ということでもある。

この世界中の全てのひとに、受け入れられるひとなんて存在しないんだから、

たった一度の人生を”あなたとして”生きた方が健全である。

 

・関係するひとに迎合しながら生きていく、

というのは自分自身を抑圧して生きるということである。

それによって、様々な悩みや苦しみを生み出してしまうことになる。

 

・嫌われる、ってことは、あなた自身を受け入れられないひとからすると、

あなたの中にそのひとが羨む何かがあるということでもある。

 

それは、あなたの魅力に嫉妬しているということだから、気にする必要はない。

または、ひとは自分の写し鏡だという観点からいうと、

嫌っているひと自身が抱えているマイナスな側面を、あなたという鏡を通して、

そのひと自身が見たときに、ただ受け入れられないだけである。

 

・いまの環境では、あなた自身が嫌われる立場にあるかもしれないけど、

ある環境に行けば必ず、あなたらしさを発揮できる環境というものが存在する。

だから、そういった環境をつくるのか、またはそこに自ら行くということが大事。

いつまでも受け身で待ち続けていても、勝手に向こうからはやってこない。

 

・嫌われる勇気があれば、本当のあなた自身で生きていくことができる。

だから、嫌われることを怖れないで、

どんどんあなた自身を表現しながら生きていって欲しいと思う。

 

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