不安を解消したい?だったら、まずはそのマインドから変えること!

      2017/09/22

わたしたちが感じる感情。

その中で、”不安”という感情は、ココロとカラダに大きな影響を与えています。

不安があるから、行動できないし、発言できない。

 

このように不安感があることで、わたしたちの行動や言動を

制限してしまう原因因子となってしまっています。

不安は消せるものではありません。

 

また、不安という感情は、”悪”でもありません。

 

多くのひとは、不安というものの正体を理解することができずに、

必要以上に、不安という存在を自ら肥大化させてしまっていることで

身動きが取れない状態に陥ってしまっているのです。

 

 

不安とは?

 

 

言葉としての意味や、その感覚というものは誰もが、

”不安とは、こういうものである”という共通認識を持っていると思います。

しかしながら、それが一体どういうものなのか、

不安の正体を理解しているひとは少ないでしょう。

 

簡単にいうと、不安という感情が湧き上がるプロセス、

つまり、構造のことです。

 

わたしたちは、何かしら理由付けしたがる生き物です。

 

モヤモヤしたままにしておくことを嫌うし、

自分がまったく、興味のないことならどうでもいいけど、 

興味のあることに関しては、その意味や概念を分かろうとするし、

カラダの感覚的に体感してみたいという特性があります。

 

理解不能なもの、そういったものに対して、

認知的に不協和な状態に陥ることを嫌うからです。

 

自分の価値観の中で、その対象を認識できない、

または、認知できないことが、精神的な不安定状態に陥らせてしまうのです。

 

 

それは、言い換えると対象を受け入れることができない、

ということでもあります。

※受け入れるということに関して、受け入れる?許す? icon-share-square-o 

という記事で詳しく書いていますので、あわせて読んでみて下さい。

 

 

 

よくある例でいうと

対人関係の悩みで、あるひとのことを理解できない、

という悩みって多いのではないでしょうか?

 

それは、どういったことから起こるのか、というと個々で異なっている価値観を、

あたかも、自分の価値観が絶対的なものであり、

その絶対的な自分の価値観で、相手のことをみているからです。

※価値観については、 自らの価値感が世界を狭めている  icon-share-square-o 

という記事を参考にしてみて下さい!

 

自分の価値観に偏ったフィルターで相手をみているのですから、

当然ながら、自分の価値観から外れたことがあると、

そこに認知的な不協和が発生してしまいます。

そして、精神的に不安定な状態に陥ってしまうのです。

 

精神的に不安定な状態から抜け出す為に、ひとは

どのように対処するのかというと、

何かしらの意味づけ、理由付けをすることで、自分自身を納得させるのです。

 

 

たとえ、それが思いっきり自分の価値観に偏った、第三者からみると、

”つじつま”があってないものだとしても、自分自身を

一時的に納得させるものがあれば、何でも構わないのです。

それは、ひとつの逃避行動でもあるし、

自分自身を守るための防衛反応でもあるでしょう。

 

このように、ひとは認知的な不協和をつくり出されたときに、

そのままにしておくことを嫌う生き物なのです。

 

 

この章の内容から、”不安”とは

自分の価値観で認識、理解し難い現象が起こったときに、

湧き上がる感情ということだと理解できると思います。

 

 

不安との付き合い方

 

 

これまでの話では、”不安”というものは、自分にとって”悪”、

または、”良くないもの”というイメージがついてしまっているのではないでしょうか?

その気持ちはよく分かりますが、それは、

ある側面からみただけの話にすぎません。

 

不安の反対は、安心だと思います。

多くのひとは、安定を求めて、不安定な状態を嫌います。

しかしながら、わたしたちが生きているこの世界に、

安定しているものって、あるのでしょうか?

もし、あると思い込んでしまっているなら、それは”幻想”です。

 

わたしたちが、生きているこの世界は、

あらゆるものごとは、対極であり二面性を兼ね備えた矛盾した世界です。

陰があれば、陽があり

+があれば、−があるように

 

これらは、別々のものではなく、ひとつのものに、

両方の側面を兼ね備えて存在しているのです。

 

 

わたしは、男ですが、わたしという存在の中には、

男性性と女性性を兼ね備えています。

そして、そのどちらかに偏っているのかどうか、

ということでしかありません。

 

男性性と女性性がバランスがとれていれば心身ともに良い状態でしょうが、

一日の生活の中でも様々な刺激があり、そういった刺激に対して、

影響を受ける中でどちらかに偏ってしまうのです。

 

少々話が脱線してしまいましたが、わたしたちは、

安定している状態が”良い状態”であると錯覚してしまっていますが、

それは、ただの幻想です。

 

実は、安定を求めれば、求めるほど不安定になっていきます。

逆に、不安定であるということを受け入れると(認識すると)

安定していくものなのです。

 

 

どういうことなのか?

 

ココロの側面と、カラダの側面の両方から解説してみたいと思います。

 

1.ココロの側面

 

安定を求めるというのは、潜在意識では『自分は不安定だ』

といっているようなものです。

ココロの奥底で、『自分は不安定だ』という想いがあるから、

その逆である安定したい、という欲求が湧き上がってくるのですが、

潜在意識では、『自分は不安定だ』と思い込んでいるから、

どんどん自分にとって不安定な出来事が、自分の目の前に現れるようになります。

 

それは、『自分が不安定だ』と思い込んでいるから、

潜在意識では、自分の周りをみて自分にとって、

”不安定なもの”に意識のチャンネルを合わせてしまうことで、

どんどん自らを不安定な状況に陥らせてしまうのです。

 

 

つまり、不安の感情が湧き上がったときに、その感情に支配されてしまうと、

必要以上に、”不安”に影響力を与えることになってしまい、

感情を肥大化させてしまうことになるのです。

 

さきほども書いたように、肥大化させてしまうと、

潜在意識に、ガッツリとすり込みをしてしまうことになり、

自らを、どんどん不安な事象を引き寄せてしまうことになってしまいます。

 

 

2.カラダの側面

 

安定する、というのは”居着く”ということになります。

つまり、自由な状態ではなく、不自由な状態であるといえます。

 

居着いてしまうと、何かの刺激があったときに、

すぐに対処ができない状態です。

ワンテンポも、ツーテンポ遅れてしまうということになります。

それは、大きなストレスを感じることになりますよね?

 

刺激に対して、何らかのアクションを起こしたいのに、

先走るココロに、カラダを運べない。

それは、ココロとカラダの分離を生み出すことになるのです。

 

安定していない状態、不安定な状態だと常にカラダはゆらいでいますから、

何かの刺激があったときに、その場に居着くことなく、

すっと移動することができるようになります。

 

ということは、先ほど書いたように、先走るココロに

置いていかれることなく、ココロとカラダが一致するようになるのです。

ココロとカラダにギャップが生まれても、その”差”を、

すぐに埋めることができるようになるのです。

つまり、一体感をもって存在できる、ということになるのです。

 

これは、カラダだけじゃなく”思考”にもあてはまることなのです。

自分の偏った価値観にとらわれていると、結局のところ、

自分の価値観とは違った価値観に遭遇した際に、

自分とは別の価値観とは、相まみれないのです。

 

だから、認知的な不協和状態をつくり出してしまうことになるのです。

 

 

不安を解消する?

 

 

これまで書いてきた内容を読んで理解して頂けると、

不安は、解消するものではない、ということを

理解して頂けたのではないかと思います。

 

そもそも、わたしたち人間は感情をもった生き物なのです。

感情があるから、人間的とも言えるでしょう。

 

だから、感情というものは消すことはできないし、

感じなくさせるものでもないはずです。

要は、感情をあなた自身がどのように捉えるのか、ということなのです。

自分の捉え方次第ということです。

 

感情を”悪”だと捉えてしまえば、その感情に、

必要以上に力を与えてしまい、その感情に支配されることになるのです。

 

感情は、過去・現在・未来という時間軸を持ち越せるものではありません。

感情は、瞬間的なものです。

 

感情をいつまでも引きずっているというのは湧き上がった感情を、

自分の思考に乗っ取らせてしまったことにより、思考が

”感情もどき”になってしまっているからなのです。

 

感情に思考を乗っ取られてからでは、なかなか対処が難しくなります。

すでに大きな支配力を持たせてしまっているのですから、

そう簡単には切り崩せないのです。

 

 

だから、感情が湧き上がったときに、あなた自身がその感情と、

どのように向き合うのか、そこが大事なポイントになってきます。

 

湧き上がった感情は、中立的に捉えること。

ニュートルに捉えること。

距離感が近すぎず、遠すぎず

適切な立ち位置で、感情を捉えることが大事になってきます。

 

近すぎると、簡単に乗っ取られ、影響力を高めてさせてしまうことになります。

適切な距離感をもって接すれば乗っ取られることはありません。

ただの現象として、捉えることができるようになります。

 

 

『わたしは、”不安”を感じているんだ』

そうやって、第三者的な立場で、自分自身を

観察することができるようになるのです。

 

これが、凄く大事なことで、そうやって自分を俯瞰的にみることで、

色んなことがみえるようになってくるのです。

・何に反応して”不安”の感情が湧き上がったのか?

・どういった刺激に対して、不安を感じるのか?

・どういったひとに対して、不安を感じるのか?

 

そうやって、自分自身を俯瞰してみることができるようになってくると、

より深く、自分自身の人間理解が進むようになります。

 

 

 

まとめ

 

不安は、”悪”ではありません。

ものごとには二面性があり、偏った視点でみることが、

自らを悩み、苦しめる原因となってしまうのです。

 

不安=”悪”

という図式の世界で生きている限り、不安を

解消しようということばかりに意識が向かってしまいます。

そして、解消するための具体的な方法論を模索することになるでしょう。

 

しかしながら、そんなことをしても、自分の中から

湧き上がる”不安”の感情は永遠に消し去ることはできません。

 

 

なぜなら、ひとは感情的な生き物なのですから、

感情が湧き上がるのが自然なことなのです。

感情を消し去る、といのは、まったくもって、

そのひと自身の”エゴ”でしかないでしょう。

自然界の流れに反することであり、不自然な行為でしかないのです。

 

そのように、方法論を求めることよりも、感情との”付き合い方”

それを、あなた自身が学ぶことの方が、

感情を解消する方法を模索するよりも、よっぽど建設的です。

 

感情とうまく付き合うには、

まずは、そもそも感情に対して、善悪の判断をしない

ということが前提になります。

 

そして、中立的に、ニュートラルな立ち位置で、自分自身を

俯瞰してみるようにすることが大事なことです。

俯瞰して、自分自身をみることができるようになると、

湧き上がった感情を必要以上に肥大化させることなく、

自分自身が支配されることがなくなります。

 

 

不安と安心は表裏一体です。

必要以上に、感情にとらわると、不安な出来事を

どんどん自らのもとに引き寄せてしまいます。

あなたが、感情との付き合い方がうまくなれば

必要以上に感情に巻き込まれなくなるし支配されることもなくなります。

 

 

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