過去という支配者に縛られた、奴隷的な人生から抜け出そう!

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたしたちの多くは、時間軸の流れとして、『過去→現在→未来』

という認識の中で生きているひとがほとんどではないでしょうか?

その概念の中で、生きている。

 

当たり前すぎて、そこに何も

疑問を感じずに生きているのではないかと思うのです。

 

しかしながら、その前提が180度変わってしまったとしたなら、

世界の見え方や感じ方というものは、大きく変化するのではないでしょうか?

まさに、パラダイムシフトが起こる、ということです。

 

実は、時間軸の流れというものが、『過去→現在→未来』

という認識の中で生きている、というのは、

そのように刷り込まれてきたから、

そのように思い込んでしまっているだけなのです。

その思い込みが外れたとき、一体どのような変化が起こるのでしょうか?

 

今日のブログでは、時間軸の流れを『未来→現在→過去』

という認識にパラダイムシフトを起こし、その世界の中で

生きていくことが、どういうことなのかについて、

話を展開していきたいと思います。

 

 

 

『未来→現在→過去』という時間軸の流れの中で生きている

 

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そのように聞いても、それを体感的に経験していないので、

頭では理解することができても、”体感覚”としての理解は難しいでしょう。

 

ひとは、何かを理解するときや、認識するときには、

そこに”リアリティ”というものを感じなければ、

本当の意味で理解したとは言えません。

 

知識や情報としての理解と、体感覚とが一致しないからですね。

 

そういった意味でも、時間軸が『未来→現在→過去』

という流れの中で生きている、ということを聞いても、

ピンと来ないし、だからこそ認識することが難しいのです。

 

 

わたしたちには、”意識”というものがあります。

意識の役割りを考えてみると、わたしたちが

何かのモノゴトを認識するときに、意識というものがあるからこそ、

あらゆるモノゴトを認識することができている、

といっても過言ではないでしょう。

 

 

つまり、”意識”というものは、傍観者なのです。

 

何を傍観しているのかというと、”わたし”という物理的な存在の人間が、

”いま”どういったこと考え、選択し、行動しているのか、

といったことを自分自身で認識するために傍観者の役割りを果たしている、

ということが言えるのです。

 

意識というものが、なかったとしたら

全ての、思考を含めて、行動や言動、が認識や知覚がされずに、

自動的に行なわれているだけの存在となります。

 

 

脳科学的には、わたしたちには”自由意志”というものはなく、

ただ受動的な生き物であるということが言われています。

 

脳の中に、無数の小人がいて、

その小人たちが、民主制の元にあらゆることを議論して

導き出された結果を、わたしたちが選択させられていて、

それを実行、採用されているのを、”意識”というもので

みさせられている、ということになっています。

 

もちろん、これは”脳科学”という観点からみただけの話なので、

これから研究が進むにつれて、この考え方が変わってくることも

当然ながら有り得るでしょう。

なので、”いま”の段階では、という条件付きの半紙にはなりますが・・・。

 

そして、この話は”脳科学”という観点からみた捉え方なので、

他のあらゆる側面から考えてみると、

違う捉え方も可能となってくると思うのです。

そういった意味では、わたし自身は、

『人間には自由意志はある』と考えています。

 

 

なぜって?

 

自由意志がないとしたら、それって生きていることが

虚しくなってしまうからです。

その感覚は、あなたの感覚とも

共有できるものじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

何のために生きているのだろうか?

何のために生かされているのだろうか?

ってことになってしまいますよね。

 

 

 

自由とは?

 

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自由になりたい。

 

自由に生きたい。

 

『自由』という言葉は、日常生活の中でも一般的な言葉ですし、

『自由』という言葉と同様に、

対義語である『不自由』という言葉やイメージというものは、

多くのひとが使ったり、持ったりしているのではないでしょうか?

 

自由ということを考えたときに、一体、

”わたし”という存在を不自由にしているものは何なのか?

ということを考えたことが、一度や二度はあるのではないでしょうか?

様々な観点から、捉えることで、それぞれに違った見方ができると思います。

 

多くのひとが、自由に生きられない、自由に何かを選択することができない、

ということを考えたときに、

そこで大きく影響を及ぼしているものとしては、

『過去』の影響が大きいのではないでしょうか?

 

 

なぜなら、多くのひとは、過去の延長線上に

『現在』や『未来』が広がっている、

という概念の中で生きているからです。

そのことを分かりやすく言うなら、

わたしたちは日常生活の中で、様々な選択を求められます。

 

 

つまり、『人生とは、選択の連続である』

という見方もできるわけです。

 

その『選択』という行為において、

何かの行動や言動を選択するための判断材料として、過去の体験や出来事

という”過去の記憶情報”を持ち出している、という側面があります。

 

 

過去の記憶情報が、あなた自身の行動や言動の選択肢として、

目の前の刺激や事象と結びつきの強いものが呼び起こされ、

その呼び起こされたものが、採用されることになるわけです。

 

それっていうのは、過去の記憶情報に、大きな影響を受けている、

ということが言えますよね?

このように、過去の記憶情報に基づいて、

あらゆる行動や言動の判断、選択をしているのです。

 

 

じゃあ、なぜそのようなプロセスの中で生きてしまうことになるのか、

というと冒頭にも書いたように、

”時間軸の流れ”というものが、

どのような順序で構成されている世界で生きているのか

ということが大きいと思うのです。

 

 

つまり、『過去→現在→未来』という時間軸の流れの中で生きているから

ということですよね。

 

なぜなら、何かの行動や言動の判断、選択、というものは、

これから先にある”未来”のことは、捉えようがないので、

未来のことからは何かを持ってこないわけです。

判断、選択の材料となるものがないのですから。

 

だから、過去の記憶情報から考えるしかないのです。

過去の記憶情報を引っ張り出してきて、その情報をもとに、

自らの行動や言動を選択し、未来へと進んでいく。

そのような流れの中で生きているのです。

 

 

『人生とは選択の連続である』と、先ほど書きました。

 

選択しないことには、生きられない。

何も起こらないし、起こせない。

そういった側面があります。

 

なので、何かしらの行動を選択することが求められるわけです。

そうしないことには、未来には進めない。

そんなイメージです。

 

もちろん、選択しなくても、未来には進めます。

しかしながら、何も選択しなくても、それは潜在意識下で

何らかの選択がなされているので、結局は、何らかの選択をしている、

ということになるのです。

 

わたしたちは、受動的な生き物なので、

生きていると様々な刺激を受けているわけですが、あらゆる刺激に対して、

何らかの反応が、意識的にも、無意識的にも必ず起こっているのです。

ただ、選択したものが、顕在意識に上がるのか、上がらないのか、

だけの違いでしかないでしょう。

 

 

 

多くのひとが、過去の延長線上に生きている

 

それは、トラウマというものを考えてみたときに、

理解しやすいのではないでしょうか?

 

トラウマ、という表現を使わなくても、良く聞く言葉として、

『あのことがなかったら、こうはなってはいなかった』

『あのひとと出会ってさえいなければ、こうはならなかった』

このような言葉を聞くことは、少なくはないと思いませんか?

 

これらも、言わば過去を引きずって生きている、

ということになりますよね。

過去のある出来事を、自分自身の”重荷”として、抱えながら、

いつまでも引きずりながら生きているわけです。

 

当然ながら、『重荷』という表現の通りに、

ココロにもカラダにも、何らかの”足かせ”となってしまっているわけです。

重みがある分、行動や言動に何らかのブレーキや抵抗がかかってしまう、

ということになるのです。

 

 

 

自己の認識は、記憶の連続性があるから

 

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さて、ここで重要となる概念を一つご紹介しておきたいと思います。

それは、わたしたち人間という存在は、

物理的な存在であると同時に、情報としての存在でもあるのです。

 

わたしたちは、どのように”自己”という存在を認識しているのでしょうか?

 

 

 

その答えは、『記憶の連続性』です。

 

わたしたちは、物理的な空間に生きていると同時に、

情報空間の中でも生きています。

認知科学では、『誰も物理空間を正確に認識していない』

という事実があります。

 

 

どういうことかというと、

あなた自身が目の前で見ていること、見えていること、というのは、

誰もが、同じモノゴトとして捉えているのではなく、自分自身が見たいもの、

つまり、重要であると思われる情報のみを取捨選択している、

ということなのです。

 

つまり、客観的ではなく、主観的なものとしてしか、

捉えられていない、ということなのです。

 

多くのひとの認識として、リアリティのある世界、

つまり、臨場感のある世界こそが、物理世界であり、物理空間である

と思い込んでいますが、

先にも書いたように、誰もが自分自身の主観に基づいた情報しか取捨選択をしていない、

ということからも、物理世界、物理空間というものは

情報空間と、何ら変わりはないと言えるのです。

 

もし、物理空間が、主観的なものではなく、

客観的なものであれば、話は変わってくるでしょう。

物理空間が客観的なもの、情報空間が主観的なもの、

そのように定義されると思うのです。

 

だから、物理空間も情報空間も、そこには違いは、

”そんなにない”ということになるわけです。

 

 

わたしたちは、頭の中で様々な思考をすることができます。

そして、夢を見たときに体感したことがあると思うのですが、

夢で見ているものというのは、そこにリアリティというものがあると思うのです。

 

夢で見たことは、現実世界では体験したことがなくても、

あたかも現実世界の中で、夢で見たことが起こっている、

といったような臨場感を感じているはずです。

 

 

つまり、何が言いたいのかというと、

バーチャルな世界で起こっていることと、現実世界で起こっていること、

というのは、両者とも情報空間で起こっているということであり、

そこにリアリティや臨場感というものがあれば、

そこに隔てるものは存在しない、ということなのです。

 

バーチャルな空間で思考したこと、意識したこと。

それが、現実世界に反映されたのか、落とし込まれたものか、

そうじゃないものなのか、だけの違いです。

現実世界に反映されないものが、ウソであり、

現実世界に反映されたものが、正しいものであるということではないのです。

 

 

話を戻して、わたしたちは自己の存在を『記憶の連続性』によって認識している

ということを書きました。

相対性理論では、『時間と空間は同じ概念である』

ということが言われています。

 

時間と空間が同じ概念である。

 

それは、つまり、”いま”あなたのから数メートル離れているひとが

他人であるならば、24時間後の”あなた”自身も他人ということになるのです。

 

しかしながら、”わたし”という存在をみたときに、

夜寝る前に、寝る瞬間に、『”わたし”という存在は死んだ』

とは思わないでしょう。

 

 

なぜなら、朝起きたときに、物理的な存在としての”わたし”は、

確かに存在していますし、寝る前の記憶、前日の記憶・・・・、

と過去の記憶情報というものが存在しているからです。

 

つまり、記憶の連続性というものが保たれているから、

自己という存在を認識することができている、というわけなのです。

 

もし、記憶の連続性というものが保たれていないのであれば、

”わたし”という存在は認識することができないでしょう。

どういう存在なのか、分からない状態で生き続けていくことになると思うのです。

このようなことからも、人間という存在は、物理的な存在というよりも、

情報としての存在が強いという感じがしませんか?

 

 

記憶の連続性が保たれている、というのは

例えるならば、PCで何らかのファイルを、コピー&ペーストする、

といったイメージと同じことだと思うのです。

それができるのは、情報としての存在であるから、

ということが言えると思うのです。

 

物理的な存在を、コピー&ペーストしようと思ったら、

それはモノであれば可能ですし、

すでに何らかの工業製品で製造されているから可能でしょうが、

生き物としての物理的存在は、一気に難易度が上がりますよね?

 

”いま”の段階では、わたしたちが知り得る範囲内では、

まだ実現できていないですよね。

 

 

わたしたちは、『過去』・『現在』・『未来』と、あたかも全てが

連続的なものとして認識していますが、実はそうではありません。

”いま”という『時』は、瞬間完結しているものであり、

次の瞬間には持ち越せないものなのです。

 

 

しかしながら、あたかも次の瞬間に、”いま”というものを

持ち越しているかのように感じながら生きているわけです。

だから、多くのひとは過去を、次の瞬間、『未来』に持ち越し、

引きずりながら生きているということになるのです。

 

それっていうのは、『記憶の連続性が保たれているから』

という側面が大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。

 

 

何が言いたいのかというと

わたしたちは、情報としての存在であるという側面が大きい、

ということなのです。

 

細胞というものをみたときに、細胞の場所にもよりますが、

常に再生を繰り返している、という話は聞いたことがあるのではないでしょうか?

 

皮膚の細胞も、筋肉の細胞も、脳の細胞も、

生まれたときに持っていたままの細胞ではなく、

常に生まれ変わっていて、あたかも同じ細胞のままで存在し続けている、

と認識しているだけにすぎないのです。

 

 

古くなった細胞は死に、新たな細胞として再生を繰り返しながら、

形態を保っています。

 

つまり、古い細胞は死にますが、そのときに物理的な存在としてはなくなっても、

情報は新たな細胞にコピーされるので、新たな細胞に生まれ変わっても、

元の形態が保たれているのです。

 

だから、こういった情報の伝達というものが、

カラダの中でも自然な摂理として行われているということなのです。

なので、何も情報としての存在としてみても不思議なことではないし、

どこか異世界から持ってきて、こじつけた話ではないのです。

 

 

 

わたしたちは、『情報としての存在である』

 

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そういった概念を受け入れて、その観点から、

様々なモノゴトを捉え直してみたときに、これまでとは違った

世界の見方や捉え方になると思うのです。

 

つまり、パラダイムシフトが起こる

ということですよね。

 

 

ここからは、わたしの主観にはなるのですが、

そういった前提のもとに話を聞いて頂けたら嬉しいと思います。

”わたし”という存在を”情報”としての存在という見方をしたときに、

物理的な存在として捉えたときには、簡単になし得ないことが

可能となると思うのです。

 

 

どういうことか、というと

”いま”いる空間、”いま”ある空間から、

別の空間に移動しようと思ったら、物理的な存在であるとしたら、

それには移動のための様々なコストというものがかかってきます。

 

もちろん、情報としての存在でも、移動するためのコストはかかりますが、

物理的な存在よりもはるかにローコストで、移動することができると思うのです。

 

 

わたしたちが”生きる”ということをみたときに、

ある観点からいうと、空間の移動の連続だと思うのです。

コミュニケーションについて言えば、言語空間の移動になるでしょう。

 

しかしながら、感覚的には同じ空間内で、

モノゴトが行われているという感覚でしょう。

それは、あくまで感覚的な捉え方であって、

時間軸という観点からすると、同じ空間にはならないはずです。

 

 

なぜなら、時間軸の移動というものは、

”いま”という瞬間の連続なので、瞬間完結の連続である、

ということは先にも書きました。

 

だから、”いま”という瞬間を引き延ばして、

一つの空間が続いているということではない、と思うのです。

そのように錯覚して生きている、ということだけだと思うのです。

 

 

何もしなくても、ただ、じっとしているだけでも、

時間軸でみると、空間としての移動は行われていますよね。

このように、空間を絶えず移動し続けているのです。

 

だけど、そのように感じないのは、情報というものが、

次に移動する空間にコピー&ペーストされているから、

つまり、記憶の連続性が保たれているから、ということだと思うのです。

分かりやすくいうと、連続性の中で生きていると、

錯覚させられて生きているということが言えるでしょう。

 

 

情報としての存在として捉えたときに、移動のコストは、

物理的な存在よりも、はるかにローコストで済むようになります。

移動するためには、”意識”というものを使うだけで、済むからです。

 

”意識”というのものは、自由に、どこの空間にも

飛ばすことができますよね?

自分自身のカラダの、どこかの部分を意識することも可能ですし、

自分のカラダをはるかに超越し、宇宙空間にも

意識を飛ばすことができるのですから。

 

宇宙空間に意識を飛ばす、と聞いて、

どういうことなのかイメージしにくいひとがいるかもしれません。

分かりやすい例で言うと、夜に空を見上げると、

星を見ることができると思います。

 

ある星、その一点を見ていると、あたかも、

その星とつながったかのような感覚を体験したことがあると思うのです。

星ではなく、月でもいいでしょう。

 

 

星や月をみて、何かを感じるというのは、

”わたし”という存在と、星や月と意識でつながっている、

ということが言えるのです。

つながっているから、何かの影響を受けていることになるのです、

 

もちろん、別の観点で言うと、あなた自身が影響を受けているだけではなく、

あなた自身が影響を与えている、ということでもあるわけです。

ただ、それが分からないのは、目に見えるものではない、からですね。

目には見えないけど、確実にお互いに影響し合っているということなのです。

 

 

そのように、影響し合っているというのは、

意識でつながっているからこそ、起こり得ることだと思います。

 

 

 

情報空間を隔たりなく移動することが『自由に生きる』ということ

 

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ここで、先にも書いた『自由』ということにつながってくるのです。

『おいおい、どんなけ引っ張るねん!』というツッコミは、ご勘弁願います(笑)

 

情報としての存在であると、あなた自身が認識したときに

パラダイムシフトが起こる、ということを書きました。

そして、情報としての存在だと認識すると、

空間の移動に対するエネルギーコストが、物理的な存在と比べると、

はるかに省エネで済むということも書きました。

 

移動のためのエネルギーコストがかからない、

ということは、『自由』に近いと思いませんか?

意識の話でも書きましたが、意識というものは、

どこにでも自由に飛ばすことができます。

 

 

つまり、空間の移動もスムースに行われる、

ということになるのです。

空間の移動にかかるコストは、

意図する空間に意識を飛ばすだけ、向けるだけ、で済むからです。

 

これが、物理的な存在としての空間の移動となると、かなり大変ですよね?

物理的なものを移動しようと思ったら、

何らかの物理的なもので、移動させなければいけません。

 

分かりやすい例で言うと、車、自転車、飛行機など・・・。

時間的コストもかかりますし、自分一人ではできないことが多くないですか?

多くのひとの力を借りながら、時間と労力、金銭的なコストがかかってきます。

そのため、あらゆる制約というものが出てくるでしょう。

 

でも、情報としての存在なら、意識を使うだけです。

至ってシンプルだと思いませんか。コストを最小限に抑えることができるからです。

 

このように、情報としての存在であるという認識を持って、

それを活用しながら生きていくと、これまでは考えられないようなほど、

あらゆることが解放されるようになります。

 

つまり、『自由』になる、ということなのです。

 

 

ここまでの話を聞いても、抽象的すぎて、よく理解できない。

そう感じているかもしれません。

 

 

より具体的な話をしてみたいと思います。

 

わたしは、自分自身のココロやカラダを使って、日々実験を繰り返している、

というのがライフワークになっているのですが、

その実験で得られたことを書いてみたいと思います。

 

 

ある姿勢をしているときに、どこかしらに違和感であったり、

痛みを感じる部分ってありますよね?

その違和感や痛み、というものは、リアルタイムで存在しているものなのか、

ということを疑ってみることなのです。

 

わたしたちの知覚や認識というものは、

200ミリセカンド遅れてなされている、

ということを書きました。

この観点からいうと違和感や痛み、というものは

過去の出来事であると、捉えることができると思うのです。

 

 

だから、実際に実験してみました。

その違和感や痛みというものは、過去の出来事である。

そのように捉えてみるのです。

 

そうすると、カラダというのは面白いもので、

違和感や痛みというものがなくなるんですね。

 

これってどういうことなのか?

 

 

それを考えることが、とても大事なことだと思うのです。

だから、考えてみました。

どういうメカニズムというか、構造なのか、を。

 

もし、わたしたちの知覚や認識というものが、

リアルタイムで、寸分違わず、違和感や痛みを知覚、認識しているとしたら、

それは”いま”に起こっているものでしょう。

 

 

しかしながら、わたしたちは、200ミリセカンド遅れて

モノゴトを知覚・認識しているという事実があるという前提で、

モノゴトを捉え直してみると、それは、すでに過ぎ去った過去の出来事である

と、捉えることができるのです。

 

過去の出来事を、あたかも”いま”という瞬間に起こっていることだと

認識してしまうと、わたしたちのココロとカラダは、

そのことをより強化するという側面があります。

 

どういうことかというと、

『違和感や痛みがある』ということを受け入れてしまうと、

その理由を必死になって、ココロとカラダがつくり出そうとするのです。

『わたしは、違和感や痛みを感じている』。

 

そのように認識したところから、そのことを明確に、

強化するかのようにココロとカラダが反応するということなのです。

 

 

それっていうのは、物理的な形態、精神的な形態など、

ゲシュタルト(形態)、『世界観』を壊さないようにする、

というホメオスタシスという恒常性維持の働きが備わっているからなのです。

あることを受け入れた瞬間に、その世界観を壊さないように、

”順応する”と言ったら分かりやすいでしょうか。

 

ホメオスタシスという働きがあるからこそ、

何らかのゲシュタルト(形態)、世界観を保つ働きがあるのです。

 

 

つまり、違和感や痛みというものは、過去のものである。

”いま”に存在するのではなく、過去のものである、

と自分自身で捉えた瞬間、それらはなくなるのです。

 

違和感や痛みというものが”ある”という認識をしていないので、

違和感や痛みが”ある”状態には、ゲシュタルト(形態)、世界観が

構築されないことになるわけですから。

 

 

このことを別の観点からいうと

目の前に、何らかの刺激や事象があるとします。

その刺激や事象をみて、わたしたちは、

どのように対処したら良いのかを、過去の記憶情報を呼び起こし、

何らかの判断、選択をするのです。

 

このプロセスからいうと、過去の記憶情報というものを

採用してしまうと、その過去の記憶情報に基づいて反応する

ココロとカラダの反応がつくり出される、

ということになってしまいます。

 

つまり、ある刺激や事象があって、それに結びつく

過去の記憶情報が呼び起こされて、その記憶情報に基づく、

ココロとカラダの反応が引き起こされる、ということになります。

それは、プログラムのようなもので、自動的に起こるものでしょう。

 

 

ある刺激には、このようなココロとカラダの反応が起こる。

そのような自動反応としてのプログラムに支配されてしまう、

ということが言えると思うのです。

 

これっていうのは、過去に支配されている、

過去に縛られた生き方をしている、過去を引きずった生き方をしている、

という見方ができるでしょう。

もちろん、すべての反応が、

そうだということを言いたいのではないのです。

 

 

あなた自身を危険なことから身を守るために、自動反応として

働いてくれるプログラムというものは欠かせないものでしょう。

なぜなら、反射的に、自動反応として働いてくれないと、

瞬時に身の危険から守ることができないからです。

 

でも、そのようにあなた自身にメリットのある

プログラムばかりじゃなく、あなた自身の行動や言動を抑制したり、

制限したりするプログラムを持っているがために、

生きることに苦しんでいるひとは少なくないのです。

 

 

本当は、やりたいことがある、言いたいことがある。

こういう風に自己表現したい、という想いがあるにもかかわらず、

それができなくさせてしまっているプログラムがあるのです。

だから、過去に支配され、『不自由』な

生き方をしているひとが大勢いるわけです。

 

これは、先ほどにも書いたように時間軸の認識が、

『過去→現在→未来』という認識の中で生きているからこそ、

より自動プログラムの影響を受けてしまうのです。

 

 

もし、時間軸の流れを『過去→現在→未来』という認識とは

、逆の認識で生きているとしたら、過去の体験から創り出された

プログラムの支配力というものに巻き込まれなくなります。

 

『過去→現在→未来』という時間時の中で生きているひとは、

原因と結果の法則で考えてみると、

『過去=原因』で、『未来=結果』という図式の中で生きていることになるのです。

 

 

だから、何かの行動や言動、思考の選択において、

先の見えない未来から、何かを思考することはできないがために、

過去の記憶情報を持ち出して利用することになるのです。

その結果、過去に縛られる、ということになってしまうわけです。

 

 

しかしながら、『未来→現在→過去』

という時間軸の流れの中で生きているひとにとっては、

『未来=原因』であり、『現在、過去=結果』なのです。

 

 

だから、その認識からいうと

”いま”起こっている出来事、というのは、

未来の出来事があってこその、出来事となるわけです。

そこには、自由があります。

 

 

過去を持ち出すというのは、固定された記憶としての

情報を持ち出すということです。

つまり、持ち出したときには不変な情報であるということです。

 

不変であるから、その情報をもとに、

未来の出来事が決まってくることになるので、結果も広がることなく、

決まりきったものになってしまうのです。

 

過去の記憶情報をもとに創り出されたプログラムに

支配されることになるので、プログラムを発動してしまうことで、

その結果、未来というものが自動的に決まってくる、

狭い枠組みの中で固定される、ということになるのです。

つまり、予定調和や想定内の結果しか、生み出さないことになるのです。

 

 

一方で、未来の記憶情報というものは、

記憶の中には存在しないので、選択肢としては自由ですよね?

自分自身の捉え方次第で、どのようにも捉えることができる。

そういった側面があるのです。

 

だから、”いま”起こっている現象や出来事を観察して、

それが、どういった未来(原因)によって、現在(結果)の出来事として

起こっているのかを、自由に捉えることができるようになるのです。

 

 

先ほど、『世界観』、『ホメオスタシス』という話をしましたが

あなた自身が、未来(原因)をどのように捉えて、認識するのか、

が大事になってくるのです。

 

あなた自身の選択したものが、

あなた自身のココロやカラダをカタチ作るということになるからです。

わたし自身の例で書いたように、違和感や痛みは

過去の出来事だと認識すれば、その違和感や痛みがある”わたし”

というものは創造されない、ということになるからです。

 

 

このように時間軸の流れを、『未来→現在→過去』

という認識で生きることができれば、

本当にココロとカラダは面白いように変化します。

 

そういった意味では、あまりにも多くのひとが、

『過去→現在→未来』という時間軸の認識の中で生きていて、

過去に縛られながら生きている。

そのように感じて仕方がないのです。

 

つまり、過去に引きずられ、『不自由』な生き方を

自ら選択肢して生きている、と思えてならないのです。

捉え方を変えるだけで、世界は大きく変化する。

そういったことを体感として、理解しないことには、

今回のブログで書いてきたことが理解できないでしょう。

 

捉え方を変えるだけで、人生にパラダイムシフトが起こる。

 

過去に縛られた人生から、解放されることになり、あなた自身の

能力や可能性というものが、大きく広がることは間違いないのです。

 

 

そんな人生を手に入れたくないですか?

 

捉え方が変わるだけで、創造的な人生を生きることができるのです。

 

過去の奴隷的人生を生きることから抜け出したくないですか?

 

それが可能であるということ、それを実感として体験して欲しいと思います。

 

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