環境因子が、依存症をつくり出す!多くのひとが、依存体質に陥ってしまう理由とは?

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

『依存症』というものがあります。

 

誰かに、何かに依存しながら生きている。

その根底には、安心感の欠如という問題があるのです。

安心感を得たいがために、誰かに、何かに依存する。

そうやって、自分自身の中に足りない安心感を満たしている、

ということなのです。

 

その『依存症』についてですが、興味深い話があります。

今日のブログでは、そのことについて話を展開していきたいと思います。

 

 

 

『依存症』― 間違いだらけの常識

 

まずは、こちらの動画をご覧ください。

 

 

TEDというカンファレンスの中で、

ジョハン・ハリさんという方の『依存症』

― 間違いだらけの常識、ということをテーマにスピーチされた内容の動画です。

 

TEDとは?

テクノロジー(T)、エンターティメント(E)、デザイン(D)を中心とした、人類の様々な活動の中から、幅広く世界に広めるべきと思われるアイデアを、その活動をおこなっている人のプレゼンテーションの場(TEDカンファレンス)を提供すると共に、インターネットを通じてそのビデオ映像を世界に広める活動を行っています。

 

ここでは、薬物に対しての依存症ということが、話されていますが、

薬物だけに限らず、他のありとあらゆることにおける依存症についても、

根本的なものは同じであることが分かると思います。

 

このスピーチで、わたし自身が興味深い内容であると感じたのは、

ヘロインという依存性の高い薬物があって、

それを例えば、わたしたちが20日間摂取したとしたら、

その後は、薬物中毒になって、依存状態から抜け出せなくなるのでは、

という問いです。

 

一般的なひとは、わたし自身も含めてですが、

そのように思っているひとがほとんどなのではないでしょうか?

 

それが、思い込みである。

そのように捉えることができるひとは少ないのではないでしょうか。

 

 

それを裏付ける話として、

例えば、股関節を骨折して病院に運ばれると、

手術のためにモルヒネを打たれる、という話がされています。

 

このモルヒネというものは、ヘロインであり、

薬物中毒者が、道端で買うようなものよりも、

はるかに不純物の混ざっていない、質の良い薬物です。

そういったものを、大量に摂取することになるのです。

 

しかしながら、手術が終わった後や、退院後は、

モルヒネを打たれた患者さんが、薬物中毒になるのかといったら、

ならないですよね。

 

そんな話は聞いたことがないし、

もし、薬物中毒になってしまうのであれば、

依存性の高い薬物は投与しないはずです。

 

 

こういったことからも、ヘロインを摂取したからといって、

薬物中毒になる、ということにはならない、ということです。

依存症になるということの大きな要因は、

依存性物質が問題であるという図式が成り立たない、

ということになるのです。

 

もちろん、依存性の高い物質であるには変わりないので、

大量に摂取することで、薬物依存になる可能性としては、

確率は低くはないでしょう。

 

しかしながら、依存性物質という問題の影響力が、

全てではない、ということなのです。

 

そのことについて、このスピーチでは、

依存性物質という要因よりも、

環境因子が問題としては大きいのではないか、

ということを話されているのです。

 

 

スピーチの中で、こういったことが言われています⬇️

 

オランダのピーター・コーエン教授曰く、そもそも「依存症」と呼ぶこと自体間違っているのではないか。

「繋がり」と呼ぶべきではなかろうか。

人は他人と心を通い合わせ繋がることを自然と求める動物なので 、健康で幸福な人間は、触れ合いを通じて関係を築きます。

しかしそれができない人は 人生の中で経験したトラウマ、孤立、虐待などが原因となり、安心感を求め、人間以外に繋がる対象を探し始めます。

それは、ギャンブルやポルノだったり、コカインやマリファナだったりするかもしれません。何かと繋がろうとするのが人間の本能なのです。

人間というのはそういうものです。

 

という部分ですね。

 

 

『つながりたい』という本能的な欲求があって、

それが対人関係において十分に満たされない、築けない、

という問題が起こると、それを、

ひとではない、何かで満たそうとする。

 

そういった側面があるのではないかということを言っているのです。

 

まさに、環境因子によって、大きな影響を受けている、

ということになるでしょう。

facebookなど、SNSというものが、爆発的に流行ったのも、

そういった人間の持っている本能的な欲求があるからこそ、だと。

 

facebookの創始者、マーク・ザッカーバーグの言葉に、

『人間とは、本能的につながりたい生き物である』

という言葉があります。

 

 

多くのひとが、誰かとつながりたい。

そういった欲求を満たしたいがために、SNSにのめり込んで、

いわば依存状態になっている、と言えると思うのです。

 

インターネットが普及し、全世界の多くの見知らぬひとと、

つながろうと思えば、つながれる時代になったのに、

『つながりたい』、という欲求が満たされないのは、

どういうことなのでしょう。

 

物理的な側面では、つながれる環境の中で生きているのに、

精神的な側面ではつながることができていない。

そんな状態にあると思います。

 

 

気軽につながれる環境の中で生きているわたしたちですが、

その反面、”深い”つながりとは、遠ざかっているような気がします。

 

こういった矛盾を抱えているからこそ、

依存症のひとが減るどころか、増え続けているのだと思います。

気軽につながれるからこそ、どこまでも欲求というものが高くなります。

 

つまり、より”自我”というものが強くなる。

自我が強くなるということは、自己中心的な発想に偏ってしまう、

ということになるのです。

 

 

自我が強くなってしまうと、他者をコントロールしようとします。

 

自分自身を認めて欲しい。

自分自身ことをかまって欲しい。

何らかの反応が欲しい。

他者のやっていること、近況が気になって仕方がない。

など・・・

 

いわゆる”承認欲求”ですね。

それが強くなる。

 

 

このように、多くのエネルギーを分散させながら生きていくことになるのです。

 

意識が分散する。

つまり、エネルギーがどんどん漏れ出ていて、

その結果、エネルギー切れが起こるのです。

エネルギー切れが起こってしまうと、

どこかから補充しなければいけなくなります。

 

 

じゃあ、エネルギー切れを起こしてしまったひとは、

どうするのかというと、自分自身の周りのひとから、

エネルギーを奪おうとしてしまうのです。

 

それは、他者に依存したり、支配したりと、

どちらかのパターンで、相手からエネルギーを奪う、

ということになるのです。

このように、悪循環、負の連鎖が起こってしまうというわけです。

 

この悪循環、負の連鎖を断ち切るためには、

自省しなければいけません。

つまり、自己中心的な発想を持って生きる、

という状態から抜け出すことが大事になってくるのです。

 

そして、そこで大事になってくるのは、

エネルギーを循環させる発想を持って生きる

ということですね。

 

 

その発想を持って生きることで、

あなた自身のエネルギーを高めることができるようになりますし、

あなたと、つながっているひとのエネルギーも高めることができる、

という良いエネルギー循環が起こるようになるからです。

 

 

もう一つ、大事なことは

『相手を立てることで、自分が立つ』、という発想ですね。

 

相手に喜んでもらえるには、どうしたら良いのか?

 

そういった視点を常に持って生きることで、

エネルギー循環が起こるようになり、

エネルギーの高い生き方ができるようになるのです。

 

 

そういった生き方ができるようになると、

『自分さえ良ければいい』なんて発想は生まれてきません。

そこには、自分という存在が、他者ともつながっているし、

空間や、大自然、宇宙までもが、一体となった状態で

生きることができるようになるからです。

 

一体感を感じながら、生きることができるという状態になるのです。

 

 

その状態を体現しながら生きていくことができるようになると、

”わたし”という存在が、すでに満たされた存在である、

という実感を持って生きていくことができるので、

他に求めることが必要なくなります。

 

つまり、依存症になる必要はない、ということになるのです。

 

つながりを求めなくても、すでにあらゆる存在とつながった、

一体感を感じているし、持っている。

 

 

だから、外側につながりを求めなくても良くなるのです。

つながりたい、という欲求を満たす、という目的が生まれないし、

手段としても、何かに依存することが必要ではなくなる、

ということなのです。

 

 

 

孤独感を多くのひとが感じている

 

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多くのひとが、『孤独なんだなぁ』と感じています。

依存状態に陥ってしまうのは、結局のところ、

多くのひとが『孤独』を感じている、ということなんでしょう。

 

孤独、というものを、もう少し深掘りしてみると

自己肯定感や、自己重要感の欠如。

そこにつながってくると思うのです。

 

”わたし”という存在が、大事にされていない。

丁寧に扱われていない。

そういった背景があるのではないかと思うのです。

 

人間が、物質的な面で、どんどん豊かになっていく一方で、

人間の”ココロ”というものが置き去りにされた結果、

ココロが取り残されてしまった。

そのことで孤独感を味わう羽目になってしまっている。

そのように感じるのです。

 

 

物質的な側面で、便利になるということは、効率化が図られる、

ということになります。

効率化が図られると、そこで省かれたもの(失われたもの)が出てくる。

その省かれたもの、失ったものが、

『”深い”つながり』なのではないでしょうか。

 

 

浅いつながり、軽いつながりは、容易に得ることができます。

しかしながら、深いつながりを得るためには、

時間的にも、労力的にもエネルギーコストがかかるものです。

容易に、得ることができない、という側面があるでしょう。

 

効率化が図られることで、便利になった一方で、大事なものは失われていった。

そのような側面があると思うのです。

 

 

 

スピーチの最後に、このような言葉で締めくくられています。

 

「依存症」の対極にあるのは 「しらふ」ではないんですよ 「依存症(addiction)」の反対は 「繋がり(connection)」なのです。

 

この言葉を聞いて、あなたはどのように感じますか?

『つながり』について、考えさせられる内容ですよね。

 

依存の対極にあるのは、”自立”だとも言えます。

自立するには、どのようなことが必要になると思いますか?

 

ここで言う『つながり』というものが欠かせない、

ということは理解できると思います。

 

他者とのつながり、空間とのつながり、

大自然とのつながり、宇宙とのつながり・・・

 

そういった、自分自身の外側におけるモノゴトとの”つながり”ですが、

そういったモノゴトとのつながりを得るためには、

まずは、自分自身との”つながり”を得られないことには、

できないことです。

 

自分の中にないものは、自分の外側にはない。

自分の中で、つくり出せないものは、

自分の外側でも、つくり出せない。

そういった側面があるでしょう。

 

なので、『つながり』を求めるのであれば、

それは自分自身との”つながり”を築き上げる、

ということが大事になってくると思うのです。

そのことによって、自分自身を深いところから満たすことができるようになり、

自分への信頼が生まれ、自信につながることでしょう。

 

 

そういう状態を、あなた自身でつくり出すことができるようになれば、

誰かを支配しようとも、依存しようとも思わなくなるでしょう。

満たされていないから、外側に、自分自身を満たす何かを求めてしまうのですから。

 

 

自分自身を満たすこと。

 

それは、何かでもなく、誰かでもなく、

あなた自身でしかつくり出せないものなのです。

 

 

 

 

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