自分自身を知るための手段として、文章を書くことのすゝめ

      2017/09/21

ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

こうして、わたしが『ブログ』という媒体を通じて、

情報発信をしているのには理由があります。

大きな理由から、小さな理由まで、様々な理由があります。

 

初めは苦手意識があった、何か文章を書くということ。

それが、今では『好き』になっている自分がいます。

 

文章を書くことが好きだから、こうしてブログを書ける

ということでもあると思うのです。

 

 

以前は、アメブロを利用してブログを書いていました。

アメブロ時代に、『一年間、休まずにブログを書き続ける』

という目標を設定してからは、日々言葉と向き合いながら文章を書く

ということをやりました。

 

その結果、最初はブログ記事を書くにあたって、

『ネタ』がなくて何を書こうかと困るということもあったけど

今は何か言葉を書き始めると、

勝手に言葉がどんどん浮かんできて、

それを紡いでいくことで文章が書けるようになったのです。

 

 

初めは、文章を書くということが苦手だったけど、

今は文章を書くことにおいて苦手意識はなくなったのです。

むしろ、文章を書くということが好きだと言えるでしょう。

 

なぜなら、文章を書くということは、

『自分自身を知る』ことができるからです。

自分自身の中から湧き上がってくる言葉を紡いでいく。

その感覚が、たまらなく心地良いんです。

 

 

今日のブログでは、『書く』ということが、

『自分自身を深く知る』ということにつながる、

ということについて書いていきたいと思います。

 

 

 

書くことが好きである 

 

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こうして情報発信をするということ、

自分自身が思うことを自由に書き綴っているのは、

『言葉』というものを通して、自分自身を “深く知る” ことができる

という理由からでですね。  


 
facebookやブログなどの投稿も、何を書こうかと

あらかじめ文章の構成を考えた上で、書き始めることはあまりないのです。

何か気になる『キーワード』というものがあり、

その主となるキーワードから想起される別のキーワードがいくつか思い浮かぶ。 
 

その状態になったら、あとはPCに向かって、

出てくる言葉をキーボードを叩いて、つなげていくだけなのです。 
 
 
 

具体的に何を書こうかと考えなくても、受動的に言葉が出てくる。 
 
その出てきた言葉を紡いでいくだけ。 
 
この独特の感覚が好きですね。 
 
 
 
とても心地が良い。

ある意味、ゾーンに入ったという表現ができるかもしれません。 
 
 

 
書いたものを通して、自分自身を深く知ることができるのです。 
 
自分はこんなことを考えていたのか

自分はこのような思考を持っているのか

自分はこのような信念や価値観を持っているのか

など・・・

 

自分自身が書いたことを実感として伴わなくても、

事実として書いた人間は、自分自身です。

その独特の感覚がたまらないのです。 
 
 
 

これっていうのは、『書く』ということだけにおさまらず、

例えば、一人でブツブツと喋りながら

独り言を言っているときにもあることだと思うんですね。 
 
一人ボケ、ツッコミ。
 
自分の中にある “他人” がいて、その他人と対話しているような感覚です。 
 
 
 
自分という存在を深く知ること。 
 
それは自分自身で気づいていないだけで、

実は何気なく日常生活の中でやっていることなのかもしれない。 
 

そこに気がつけるようになると、世界が広がると思うのです。
 

 

 

 

言葉と向き合う  

 

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白紙の状態にあるPCの画面に、言葉を書き出す。 

 

実際には、パソコンを使って文章を書いているので、

書いているとは言い難いですが・・・。 

 

自分の頭に浮かび上がってくる言葉を、

白紙の上に置いた瞬間、どんどん言葉があふれ出てくる。 

 

 

 

その流れにうまく乗ることができると、

独特のリズムに乗ることができるようになる。 

 

そのリズムは、わたし自身のココロとカラダを

心地よいものにしてくれる。 

 

まるで、言葉が生き物のように存在していて、

“いま” 書き出した言葉につられて、次に書き出す言葉が、

『待ってました!』と言わんばかりに登場する。 

 

 

 

その『場』に存在しているのは、

“わたし” ではない “誰か” であり、

また、それと共に“わたし” も同時に存在しているような感覚です。 

 

自分自身の主観的な感覚としては、

“わたし” ではない “誰か” が、文章を書いているように感じるのです。

 

また、言葉というものが勝手に自己増殖していくような感覚も、

そこにはリアリティをもって存在していますね。 

 

 

こういう状態で書いた文章にはエネルギーが、

自然にこもるようになります。 

つまり、言葉に力があり、言葉に “魂” が宿っている

ということですね。 

 

 

そうやって書き終えることができた文章というのは、

誰かに読んで欲しいという、承認欲求に基づいた “欲”

というものが乗っかることがありません。 

 

 

誰かに読んで欲しいものでもなく

ただ、言葉遊びをしているかのように、言葉とたわむれ、

“いま” というすぐに消えて無くなってしまう、

儚い『瞬間』を楽しんでいるようにも感じます。

 

 

自分自身との対話。 

それもあるけど、自分という主体を超越した空間にシフトした

という感覚をも感じることがあります。

 

それをどのように表現したらいいのか、

どういった言葉を用いたら良いのか分からないですが、

自分を開くということなのかもしれません。 

 

 

 

自分という存在の “未知” の部分。 

 

それを感じることができる瞬間。

本来備わっている未開の自分とコンタクトできた

という実感を得ることができるのではないかと思っています。 

 

 

 

なぜなら、わたしたちは『言葉』を通してしか

世界を認識することができないのだから。 

 

『言葉』には、可能性があります。 

 

言葉を介して、自分の可能性を広げることもできるし、

狭めることもできる。 

 

『言葉』を活かすも殺すも、自分次第なのです。

 

 

 

わたしたちの思考は、並列的に同時処理されている

 

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わたしたちは、どのように思考しているのかというと、

何かひとつの『言葉』や『テーマ』、『キーワード』があったとして、

それを元に、その『言葉』と関連する『キーワード』を

連想ゲームをしながら、出てくる『キーワード』同士をつなげていく

というイメージを持ってもらえると、理解しやすいと思います。

 

目の前の出来事や事象を、自分自身の過去の経験から

蓄積されている過去の記憶情報を呼び起こし、

連想ゲームとして、いくつもの関連する『キーワード』を呼び起こすのです。

呼び起こされた『キーワード』は、それぞれを結びつけて、ひとつのストーリーとして創り出されることになります。

 

 

このように言葉で表現すると、

流れ的には直列的に思考しているように思いますが、

もちろん直列的に思考しているというプロセスもあります。

 

ただ、その直列的な思考プロセスは、

意識によって認識しやすいから、

直列的な思考プロセスが見えやすくなっているだけである

ということでもあります。

 

 

自分自身が認識できないところでは、

つまり、無意識の世界では、同時にいくつもの並列処理がなされている。

意識には上がってこないけど、見えないところでは、

複数の情報処理が同時に行われているということなのです。

 

 

このような意識に上がってこない並列処理のプロセスを、

何か認識できる方法はないのか?と考えたときに

そのプロセスを、すべてではないですが、

少しでも認識することができる方法があるのです。

 

それが、『書く』ということだと思うのです。

上にも書いたように、白紙の状態で何かの『言葉』を立ち上げると、

その『言葉』と関連した『キーワード』がいくつも浮かび上がってきます。

 

初めに置いた『言葉』を起点として、『場』が立ち上がり、

『場』が立ち上がることで、どんどん『言葉』が湧き上がってくるようになります。

 

 

湧き上がってくる『言葉』というのは、その言葉単体では、

ただの『点』でしかありません。

湧き上がってきた『言葉』を、自分自身が認識したときに、

自分自身の『知のネットワーク』に取り込まれ、

 

取り込まれた『言葉』は、

起点となる言葉とつながるように、再構築されるようになります。

 

 

つまり、『点』としての言葉から、

『点』と『点』とがつながり、『線』になる。

そうやって、湧き上がってくる言葉が、

自分自身の『知のネットワーク』を介して、

単体の言葉から文脈として発展するようになります。

 

さらに、どんどん湧き上がってくる言葉が、

“起点となる言葉” とつながりを持つようになります。

それは、『点』が『線』になり、文脈として成立する

ということになります。

 

『点』が『線』になり、その『線』が伸びていくようになる。

新たに枝分かれしていく『線』もあれば、同じ線として伸びていくものもある。

このようにどんどんネットワークの拡大が起こっていくようになるのです。

 

 

わたしたちの意識というのは、

並列処理で起こっていることを同時には認識することはできません。

 

しかしながら、このように『言葉』によって書き出し、

つなげていくことで出来上がったネットワークを見ることで、

すべてではないにせよ、並列処理で行われたプロセスというものを、

視覚化できると思うのです。

 

 

だから、何か『言葉』を書き出す、というのは

『自分は、こんなことを考えていたんだ』

『自分は、そんなことを考えていたんだ』

といったような感じで、『未知』の自分自身を知るということができるのです。

 

 

無意識の世界では、膨大な情報処理が行われていて

わたしたちの意識に上ってきているものは、

顕在意識で認識できるものだけですね。

顕在意識で認識できる情報というのは、氷山の一角でしかないのです。

 

 

顕在意識で認識できているものだけが、

自分自身なのではないのです。

ほんの一部分の狭い範囲だけを捉えて、

それが自分自身の “すべて” であるというのは、おかしなことだと思いませんか?

その下には、膨大な潜在意識や無意識の世界が広がっているのに。

 

 

顕在意識に上ってくる情報というのは、ごくごく一部の情報でしかない。

そのことを認識した上で、『言葉』を介して

自分自身の『未知』の部分を知るということに取り組んでみる。

そのプロセスは、自分自身を深く知るということにおいて、

とても重要だと思うのです。

 

 

『書く』だけじゃなく、誰かと『対話する』ということも、自分自身を深く知るということにおいて有効な手段なのです。

自分自身に対して、『無知』で生きていくのか?

自分自身を深く知りながら生きていくのか?

どちらの人生を選択したいと思いますか?

 

 

多くのひとは、自分自身に対して『無知』がゆえに、

あらゆる問題を生み出してしまっているのです。

自分という人間が、どのような人間なのか?

それを、深く知れば知るほど、

必要以上に混乱に巻き込まれないようになるのです。

 

 

自分自身に『無知』だから、自ら混乱を招いてしまっている。

そういった問題構造があることを認識するということが、

重要だと思います。

 

 

あなたも、自分自身との『対話』を始めてみませんか? 

 

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