ありのままに生きる、”わたし”という存在の表現者になろう!

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたし自身、子育て真っ只中という環境にあり、

そんな中で子どもをみていると感じることがあります。

それは、「無邪気」だなぁ、ということです。

 

色んなものに毒されていない状態。

純粋な存在だからこそ、子どもをみていて

「無邪気さ」を感じるのです。

 

それは、言うならば「わがまま」に生きている状態。

 

自我が強い、「わがまま」な存在ではありますが、

それはわたしたち大人と違って誰かを支配しようとか、

コントロールしようという思惑がない、ありのままの自分で生きている。

つまり、”我が、まま”に生きているのです。

 

 

ありのままの自分で生きることができる。

そういった姿をみて、わたしたち大人が成長する過程で

失ってしまった大事なものを思い出させてくれます。

 

子どもからは、本当に色んなものを学ばせてもらっています。

ただ、子どもをみるときに、そういったものを

受け取ることができるフィルターがなければいけません。

 

子どもという存在を、ただ自分の自由を奪う存在だと

捉えてしまっていると、そのような発想は全くもって生まれないでしょう。

 

なぜ、子どもを授かったのか?

そこには、あなた自身の捉え方次第で、

どうとでも理由付けすることができるのです。

 

あなた自身を成長・進化させるために、あなたの元にやってきた。

そのように捉えることもできるし

子どもを望んでいるときに、タイミング良く幸運にも授かった、

という捉え方もできる。

色んな捉え方ができるわけです。

 

子ども、という存在を、あなた自身が成長・進化するための

学びを得るためにキャスティングされた、と捉えると

子どもから多くのことを学ばせてもらうことができるでしょう。

 

 

ありのままで生きられない

 

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子育てをしていて、子どもに対して感じることは、

自分の主張が強い、ハッキリしている、ということですね。 

 

自我が芽生え始めると

そこから、どんどん自我が強くなってくる。

 

 

そのときに、子どもの親であったり、

周りの人間が、子どもに対してどのように接するのか、

ということが、その子どもの人生に大きな影響を与えると思っています。

 

自分自身をありのままに表現する子ども。

 

その表現を周りが受け入れるのか、受け入れないのか

 

これはしてはいけない。

こうじゃなきゃいけない。

そういった、親や社会、周りの価値感で、子どもの表現を排除していくと、

 

どんどん、自分らしさをなくしていくことになります。

 

 

こうじゃなきゃいけないんだ。

こうしなきゃいけないんだ。

自分を表現してはいけないんだ、などなど、

どんどん、自分自身を抑制し、閉じこもっていく。

 

とくに日本の社会って、そういう側面が大きいのではないかと思うのです。

 

周りの目を気にする社会。

はみ出してはいけない。

協調性を大事にする社会。

 

確かに、社会というコミュニティに属しながら、生きていくのだから、

協調性が大事、という側面はあります。

 

しかしながら、それが過度に求められているのではないでしょうか?

 

自分の個性を発揮できない、発揮してはいけないような空気感がある。

はみ出し者は、村八分にされる、といったような感じですよね。

 

 

それは、特定の偏った世界だけで、行われている者ではなく

あらゆる世界、どこの世界でも行われていると思うのです。

 

自我が芽生えてから

周りの価値感をすり込まれて

どんどん自分自身を表現しないようになっていく。

 

それは、自分自身を表現してはいけないんだ、

というプログラムをつくり出し、

そのプログラムが繰り返し使われることで、

そのプログラムを強化していくことになるのです。

 

そのプログラムがあることで、自分自身を守る、

という役割を果たしてはいますが、

それも、使い続けることで大きな問題が生じてくるわけです。

 

 

使い続けることで、周りとの衝突や摩擦が起きない

というメリットはありますが、

自分自身を表現できない苦しみは、どんどん内側にたまり続け、

肥大していくことになります。

 

自分の魂や本質は、自分を表現できずに

生きていくことを望んではいません。

 

だから、自分自身を表現したくて、ココロにもカラダにも

様々なサインを出してくるわけです。

 

しかしながら、自分自身を表現しないプログラムの影響力が

大きく、支配されてしまう。

 

 

自分自身を表現できない、というのは

リアルに生きている実感を得られません。

 

だから、生きる気力を失くすし

希望も湧いてこない。

 

 

自分自身を認められない


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生きることに悩み、苦しんでしまっているひとは、

自分自身を表現できないから、苦しんでしまっている

という側面が大きいでしょう。

自分自身への信頼も得られない。

自分への自信も湧いてこない。

 

自分自信を表現できない、というのは

自分自身を認めてない、ということなのですから。

 

ひとは、承認欲求をもっています。

自分を認めて欲しい、という欲求のことですね。

 

自分を認めて欲しい、というのは

誰かに、”わたし”を認めて欲しいという欲求だけ、

だと思いがちですが、

その背景には、”誰かに”というのではなく

自分で、『自分自身を認めたい』、という欲求が隠されているのです。

 

いくら、他者に認められても

それは、本質が満たされることはないから

すぐに、また誰かから認めてもらいたい、

という衝動が湧き上がってくるのです。

 

他者は、あなた自身を満たす存在ではありません。

あなた自身を満たすことができるのは、他でもない、

あなた自身だけなのです。

 

だから、自分自身と向き合っていくことが大事になってくるわけです。

いつから、自分自身を表現できない、表現してはいけない、

という思い込みをつくり出してしまったのか?

 

過去を紐解きながら、自分を表現してはいけない

プログラムがつくり出されたキッカケを知り、プロセスを知り、全体像を把握する。

 

 

そうしたら、そのプログラムの構造がみえてきます。

構造がみえたら、問題となっている部分を分解し、

プログラムを再構築することもできるし、

必要なければ、解除することもできる。

 

それは、自分自身と向き合うことでしかできないことでしょう。

誰かが、あなたの代わりにやってくれるものではなく、

できるものでもありません。

 

あなたの外側に、テンプレートのような、決まりきった

型や答えがあるわけでもないのです。

 

外側に、自分の求める答えがある、という幻想から、

そろそろ卒業しましょう。

 

自分自身と向き合い、目の前の課題や試練を乗り越えていくこと。

 

生きる目的や意味は

あなた自身の成長や進化にあるのです。

 

 

何かを提示されるのを待っているのではなく

自ら、掴みにいく。

そうやって、受け身の人生から

意識的に、能動的に、自らの人生を生きていきましょう。

 

あなたは、あなたという存在の表現者なのです。

あなた自身を表現し、ココロもカラダも

解放しながら生きていきたくないでしょうか?

 

いつまで、自分自身を閉じ込めながら、表現せずに、

自分を殺して生きていきたいと思っていますか?

 

 

あなた自身の表現者になろう!

周りの価値観、社会の観念に染められて生きていく必要はありません。

それは、自分を押し殺し、奴隷的な生き方でしかないのですから。

 

 

あなたは、”あなた”という唯一無二の存在である。

 

その個性を表現しながら、輝きながら生きていくのです。

誰かの人生を生きるのではなく

あなたの人生を生きるのです。

 

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