心穏やかに生きるためには、うるさい左脳を黙らせろ!

      2017/09/21

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたしたちは、超情報化社会の中で生きています。

そういった環境の中で生きていることから、

日々大量の情報を受けながら生きているわけです。

 

 

つまり、受動的に情報を受けながら生きている。

そのように言い換えることができると思うのです。

 

大量の情報を受け取っている。

それは、意識的にも、無意識的にも、です。

 

 

その結果、どうなっているのかというと、

あまり考えないということです。

取りたい情報だけを取捨選択し、

自分にとっては重要ではに情報を排除している。

そのような脳の働きがあるのです。

 

なぜなら、そういった働きがないと、

あまりにも情報量が多すぎて、脳が情報を処理できないからです。

自分自身の取りたい情報だけを、取捨選択しながら生きている。

その結果、自分自身の主観に偏った世界が出来上がる、

ということになっているのです。

 

 

今日のブログでは、『思考する』ということについて考えてみたいと思います。

 

 

 

多くの情報に溢れた世界に生きていることで考えなくなった”わたしたち”

 

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インターネットの普及により、

自分自身が知りたい情報というものを

簡単に手に入れることができる時代になりました。

 

そして、色んなひとの価値観というものを、

知ることができる時代にもなりました。

 

 

インターネットがなかった時代だと、

”いま”の時代のように簡単に情報は手に入れることができないし

誰かの価値観を知ろうと思ったら、

直接、そのひとの元に行かなければいけなかったでしょう。

行ったからといって、会える保証もないわけで・・・。

 

そういった意味では、とても便利な時代に生きている、

恩恵を受けている、ということが言えると思います。

 

簡単に手に入れることができる。

そういった利点がありますが、その一方で、

失われたもの、退化したものの、あるのではないでしょうか?

 

それが、『考える』ということです。

自分自身で考えなくても、簡単にネット検索すれば、

何かしらの答えを知ることができるのですから。

 

 

もし、自分自身が知りたい”答え”というものが

見つからなかったとしても、自分が知りたいことを書き込めば、

誰かが、その答えを教えてくれるというようなサイトも、

いくつか存在します。

 

つまり、自分自身でエネルギーコストをかけずに、

求めているものを手に入れることができる。

そのような時代になったのです。

 

 

その結果、自分自身で努力して調べるとか、考える、

という機会が大きく減少していると思うのです。

考える力が落ちている。

そのように言えると思うのです。

 

それは、ある意味理にかなったことなのかもしれません。

 

というのも、

超情報化社会の中で生きている、というのは、

意識的にも、無意識的にも、

日々大量の情報を浴びながら生きているわけです。

 

そうすると、先ほどにも書いたように、

情報を処理するために脳の負荷が大きくなってしまう、

という影響が出てくると思うのです。

 

脳は、カラダの組織の中で、最も酸素を消費する組織ですから、

情報処理に負荷がかかりすぎると、

脳にばかり酸素が行ってしまって、全身に必要な酸素供給が行えない、

という問題が生じてくるかもしれません。

 

つまり、カラダ全身で運動する機会が極端に減り、

脳だけが過剰に働いてしまっている状態に陥ってしまうということです。

それは、すでに、そういった状況にはなっていると思います。

 

”いま”の仕事というものをみたときに、

昔は肉体労働が多かったのが、取って代わって、

頭脳労働に変化していると思います。

 

 

PCというものが、多くの職種で使われており、

カラダを使う仕事よりもPCと向き合っている時間が

長い仕事内容へと変化しているのではないでしょうか。

 

その結果、頭にばかりエネルギーが集中してしまっていて、

脳の興奮状態が解消せずに、あらゆる問題を生じさせています。

自律神経のバランスが崩れ、リラックスができない。

 

それが、不眠につながったり、

イライラや疲労感が解消しない、キレやすい、

といった症状を生み出しているのです。

この話を書き出すと、長くなるので、これくらいで置いておきましょう。

 

 

大量の情報を浴びながら生きているがために、

そういったものを処理していると脳が過負荷になって

PCでいうと、バグったような状態に陥ってしまうので、

安全装置のようなものが働いている、

というのが”考えない”ということにつながっているのかもしれません。

 

この”考える”ということですが、能動的に、意識的に、

という意味合いにおいて使っています。

超情報化社会の中で生きているがために、

自ら考えなくても、調べたり、誰かに聞いたりすれば、事足りる。

 

だから、自ら考えることはしない、ということだと思うのです。

 

 

 

無意識的に、脳内では思考により、自ら苦痛を生み出している

 

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能動的、意識的、と書きましたが、

その一方で、無意識的には考えています。

つまり、自動的に、反射的に、受動的に思考している

という問題があるのです。

 

情報を受け取る、浴びている、というのは、

刺激を受けている、ということでもあります。

わたしたちは、あらゆる刺激を受けながら生きていますが、

そうした刺激に対しては、必ず何かしらの反応をしているのです。

ただ、それが顕在化されるのか、

無意識化で行われているのか、の違いでしかないというだけでしょう。

 

 

わたしたちは、何かしらの生き辛さや、悩み、苦しみ

というものを抱えながら生きていると思います。

そういった問題は、自らの思考が”つくり出している”

といっても過言ではないでしょう。

 

現代人のほとんどは、思考病に侵されている。

そのように言い換えても、良いかと思うのです。

 

大量の情報を浴びていることにより、

常にあらゆることを脳の中で思考を巡らせている。

つまり、脳内で、”やかましい”

おしゃべり状態が、続けられているのです。

 

 

それが、あなた自身のエネルギーを消費し、

あらゆる問題を生み出している元凶なのかもしれません。

 

頭が冴えない。

やる気が出ない。

頭がボーッとする。

頭が回らない。

など・・・

 

こういった言葉をよく耳しませんか?

目の前の刺激に対して、脳内では

過去の記憶情報を呼び起こして、色んなことを思考しているのです。

 

 

つまり、過去の記憶情報を呼び起こして、

目の前の刺激に対する反応を選択、判断しているのです。

 

過去と”いま”の比較。

そして、自動反応、自動プログラムによって、

自分自身がコントロールされている、

ということになるのです。

 

そのことに気づかずに、あたかも自分自身が、

自由意志をもって、目の前の刺激に対して、

何かしらの反応、対処をしたかのように錯覚させられているだけなのです。

 

 

つまり、過去に縛られた、とらわれた生き方をさせられている、

ということになるのです。

 

 

わたしたち人間は、刺激を求める生き物です。

常に、刺激を求めていると言っても過言ではないでしょう。

刺激の中でも、わたしたちは”苦しみ”、”苦痛”

というものを積極的に生み出しながら生きているように思われます。

 

 

仏教では、『一切皆苦』という言葉があります。

簡単に言うと、すべてのものは”苦しみ”である、

ということになります。

 

この観点から言うと、

わたしたちが日常生活の中で受けている様々な刺激は、

”苦痛”である、という捉え方ができると思うのです。

 

 

そして、その苦しみから逃れるために、もがいている。

そのように捉えることができますよね。

 

刺激というものは、避けることができません。

生きていると、必ず何かしらの刺激を受けますし、

どこにいても、何をしようが、刺激というものは、常にあります。

 

なので、刺激から逃れようとするのは、発想としては低次なものでしょう。

大事なことは、刺激に対して、どのような処理をするのか、

ということではないかと思うのです。

 

刺激に対して、能動的に、意識的に向き合うのと

無意識的に、受動的に向き合うのとでは、

まったく違ってきますよね。

 

無意識的に、受動的に、向き合えば、

それは、過去の体験から創り出された

自動反応や自動プログラムを発動してしまうことになるのです。

 

 

なので、刺激(入力)に対する反応(出力)というものが、

半ば自動的に決まってくる、ということになります。

それっていうのは、過去に縛られた生き方でしかありません。

自らを型にはめ込んだ、不自由な生き方でしかないのです。

 

多くの自動反応や自動プログラムというのは、

自分自身を抑制するものであったり、抑圧するものです。

自分自身を守るために、自己表現者としての表出を許可しない、

そのような反応であり、プログラムです。

 

 

そういった自動反応や自動プログラムというものを

発動してしまっていると、どんどん自分自身を苦しめることになるのです。

こういった自動反応や自動プログラムというのは、

大脳辺縁系の働きによるものです。

 

 

脳には、本能的、動物的な働きを司る、大脳辺縁系(古い脳)と

理性、論理的、人間的な脳である、大脳新皮質(新しい脳)

に分かれています。

 

感情というのは、大脳辺縁系の働きによるものですね。

湧き上がるものは、自分自身の意志ではコントロールできない、

という側面はありますが、湧き上がった感情に支配されないように、

距離感を置いて対処する、ということは可能です。

それを可能にするのは、大脳新皮質の働きになります。

 

無意識的、受動的な行動選択というのは、

古い脳である大脳辺縁系の働きですね。

能動的、意識的な行動選択というのは、

新しい脳である大脳新皮質の働きになります。

 

 

多くのひとは、大脳辺縁系の働きばかりを使っていて、

能動的、意識的に行動選択をしていません。

だから、過去の体験に基づく、

自動反応や自動プログラムに支配されながら生きているのです。

 

そのことによって、様々な苦しみを生み出し、

不自由な生き方を自ら選択しているのです。

 

 

 

例えば、感情というものをみたときに『怒り』の感情

というものがあります。

一度、怒りの感情が誘発されると、

脳から放出された化学物質が、カラダに満ちて、

生理的な反応が引き起こされます。

 

最初の誘発から90秒以内に、怒りの科学的な成分は

血液中からなくなり、自動的な反応は終わるのです。

 

しかしながら、体感的には”怒り”の感情が湧き上がったら、

90秒どころでは収まらないですよね?

 

 

それっていうのは、生理的な反応としては終わっているけど、

感情がカラダという物理的なものへの影響から、

思考という抽象的なものに影響を与える

という、状態にシフトしたということです。

 

感情と距離感をうまく保てない、ということがあると

いとも簡単に、感情に支配されてしまうのです。

その結果、化学物質により生理的な反応が終わったとしても、

それが思考を乗っ取り、思考が感情に支配されてしまう

ということになるのです。

 

本来、感情というのは、放っておけば自然に消えていくものです。

それが消えずに残っている、というのは、

思考が感情に支配されてしまっている

ということに他ならないのです。

 

 

この思考が感情に支配されてしまっている、

ということなのですが、

ほとんどのひとが、自分自身がどのように反応するのか、

無意識のうちに選択していることに気づきません。

 

脳は”サボり癖”があるので、つい楽な方向を選択してしまいます。

その結果が、大脳辺縁系のプログラムに身を委ねてしまうのです。

 

つまり、自動操縦で生きている。

そのように言い換えることができるでしょう。

大脳新皮質の働きを介入させることで、

大脳辺縁系の自動反応、自動プログラムを、どのように扱うのか、

について口出しすることができるようになるのです。

 

そのことで、より意識的に自らの行動選択を、

増やすことができるようになる、というわけです。

 

 

無意識的に、受動的に生きている限り、

自動操縦で生きることになる。

 

そういった構造があるのです。

 

 

 

マイナスな思考パターンにつなげる前に阻止しよう!

 

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不自由からの解放ということを考えてみると

わたしたちの思考というものは、多くの場合、

ネガティブなものです。

 

1日に思考している7割がネガティブなものである

という報告があります。

そのように、多くの思考がネガティブなことを思考している。

 

つまり、自分自身に苦痛を与えるような思考をしている、

というわけなのです。

じゃあ、なぜ自ら苦痛を与えるようなことをやってしまうのか?

という疑問を思い浮かべるのではないでしょうか?

 

どうせなら、快感を与える方が幸せを感じるのではないのか?

多くのひとは、そのように思うはずです。

 

そのことについては、まだまだ脳科学的にも解明されていない

ということみたいですが、一つの説として

わたしたちの脳というものが、どのように作り上げられたのか、

ということを考えてみたときに、こういった話があります。

 

 

効率性を考えたときに、何かしらの情報を受けたときに、

そこで逃げていくのか、寄っていくのか、じっとしているのか、

といった情報決定をし、運動のカタチで

カラダにフィードバックをしている、ということです。

 

カラダへの感覚を、運動に変換するカタチで、

脳が発達したと考えると、色んなことがしっくりくる、

ということが言われています。

 

 

命を永らえるときには快感を追うのではなく、

危険なものから逃げるというのが、

自然淘汰のプロセスでは、より有用であった。

 

このような背景により、一番最初に

嫌なものから逃げる、嫌なものに耐える、

というシステムが完成して、そこから様々なカタチに

発展していったと考えると、理解しやすい、ということなのです。

 

 

なかなか、この話を読んだだけでは、

理解しにくいかもしれません。

もし、人間が快楽だけでしか動かないとするならば、

どんどん気持ち良いから、動かなくなっていく。

 

そのような状態になってしまいます。

自堕落な生き方になってしまうでしょう。

 

 

だから、運動というカタチに変換するには、

”快感”ではなく”苦痛”という刺激や情報というものが、

選択されるようになった、と考えると理解しやすいし、

しっくりくる、ということなのでしょう。

 

 

わたしたちは、”じっとしている”ということが嫌いです。

中には、動くのが面倒くさい、というひともいるでしょうが、

カラダは動かさなくても、頭は使っている、という側面があります。

何らかの形では運動しているのです。

 

もし、カラダでも、頭でも運動が起こっていないとすれば、

それは植物人間脳ような状態で生きている、

ということになると思います。

 

 

そんな生き方を望んではいないでしょうし、

実際問題として、そういった生き方を選択したくはないでしょう。

飽き性なのですから、何かしら刺激を求めて生きています。

そういった側面があります。

 

 

だから、何かしら、常に刺激を求めながら生きているのです。

 

ドラマや映画をみる

動画をみる

ゲームをする

音楽を聴く

運動をする

など・・・

 

このように様々なカタチで、

常に飽きないように刺激を求めて生きているのです。

 

 

刺激という言葉が出ましたが、

わたしたちが普段意識的にも、無意識的にも

行っている思考というのも”刺激”です。

 

自分自身に苦痛を作り出し、

与えるために、思考をすることで苦痛を生み出している。

そのように言い換えても、あながち間違いではありません。

 

より刺激の強度を高めるために、

自らの過去の記憶情報というリソースを用いて、

自らに苦痛を与えるような思考を行っている。

そういった側面があると思うのです。

 

 

超情報化社会に生きているわたしたちは、

何をしなくても多くの情報を無意識的に受け取っています。

そういったあらゆる刺激を受け取るたびに、

何かしらの反応を起こしているのです。

 

大脳辺縁系が働いて、何かしらの感情が誘発され、

自らに苦痛を与えるような思考を作り出すプログラムを発動させている。

そうやって、自らを苦しめているのです。

 

 

わたしたちの脳には、左脳と右脳とに分かれていますが、

左脳が働くことで、マイナスは思考パターンにつながろうとするのです。

 

こういった刺激には、こういった思考パターンにつなげる。

そのような自動反応ともいうべきプログラムを発動させるのです。

 

右脳の個性というべき特色として、

深い内なる安らぎと愛のこもった共感というものがあります。

 

 

 

こういう実験があります。

チベットの僧侶と、修道女が瞑想のクライマックスに達するか、

神と一体になったと感じたときに、紐を引くように指示を受けて、

脳内でどういった反応が起こっているのかを測定する装置を

頭につけて、瞑想をする、という実験が行われました。

 

この実験により脳の中の非常に特殊な領域で、

神経科学的な活動が変化することが明らかになったのです。

 

 

まずはじめに、左脳の言語中枢の活動が減少し、脳のおしゃべりが沈黙します。

これは、思考が収まってくる、少なくなっていく、

といった意味合いに捉えて頂けたら良いかと思います。

 

次に、左脳の後部頭頂回にある方向定位連合野の活動が減少したのです。

この部分は、そのひとの肉体の境界の判別に役立っている部分です。

この領域が抑制されるか、感覚系からの信号の流入が減少すると、

周りの空間に対して、自分がどこから始まり、

どこで終わっているのかを見失ってしまうのです。

 

こういったことが起こると、わたしたちの意識は、

自分自身を固体として感じることをやめ、

流体として認知するようになるのです。

つまり、宇宙とひとつになった、

と感じるようになる、ということなのです。

 

 

左脳と右脳という、全く異なる

性格のものを持っているわたしたちですが、

そのバランスが大きく偏ってしまっている

ということなのです。

 

どちらに偏っているのかというと、もちろん左脳ですよね?

左脳のおしゃべりが、”ひどい”がために、

右脳の働きというか、個性が隠れてしまっている。

そのような状態で生きているのです。

 

 

本来は、変化に対して柔軟に対応できる(右脳)認知力を持ちながら、

同時に道を踏み外さずに行動できる(左脳)という働きがあります。

右脳は、とにかく”いま、ここ”しかありません。

現在の瞬間の豊かさしか気にしていない。

そんな側面があります。

 

 

その一方で、左脳は、とても真面目です。

”クソ”が付くくらいに真面目なのです。

過去に学んだことに基づいて決断を下すのです。

 

一線を越えることなく、あらゆることを

『正しい・間違っている』

『良い・悪い』で判断します。

 

 

右脳は、過去の古いファイルを最新のものにバージョンアップできるように、

”いま”、この瞬間に新しい発見の機会を与え続けています。

 

このことを分かりやすい例でいうと

子供の頃に嫌いで、食べれなかった食べ物が、

大人になったら、何も違和感を感じることなく食べれるようになった、

といったようなことをイメージしてもらうと理解しやすいでしょう。

 

 

右脳は、このように既存のファイルを、

新たなファイルにバージョンアップする機会を与え続けてくれているのです。

しかしながら、左脳が優位に働いてしまっていると、

右脳の働きというものが活かされなくなります。

 

つまり、既存のファイルが、

更新されないまま、使い続けられることになる。

そのために、わたしたちの行動や言動は、

その古いファイルに基づいてコントロールされ続けることになるのです。

 

だから、現状維持のままで、新たな”わたし”には、変わることができない。

そういった側面があると思うのです。

 

右脳の働きを活かせば、新しい可能性を受け入れて、

枠にとらわれない、自由な発想を生み出します。

そして、右脳は直感といわれているものと関連性が高い部分ですよね。

 

 

過去の記憶情報に基づいて生きることは、

不自由な、縛れた生き方になるでしょう。

その一方で、直感的な閃きに基づいて生きる

ということは自由があります。

世界が、あらゆる方向に広がる可能性を秘めていますよね。

 

過去にとらわれれば、とらわれるほど、

枠にはまった思考になる。

思考が、行動や言動を生み出し、

行動や言動が、自分のココロやカラダを支配し、

人生をもデザインしていく。

 

そのような関係性があります。

 

 

これは決して、左脳が悪い、右脳が良い、

という話ではありません。

バランスの問題なのです。

 

左脳にバランスが偏ってしまっている。

そのアンバランスな状態のままで生きている、

ということが問題なのです。

 

どちらか一方が暴走すれば、それは簡単にココロとカラダに影響が出ます。

調和がとれていない状態になってしまうのです。

 

 

大事なことは、お互いに手を取り合いながら調和した状態を目指すこと。

そのことで、エネルギーの偏りであったり、分散が防げます。

調和すれば、1+1=2というような単純な方程式ではなく、

相乗効果を生み出し、『1+1=2』が、

3にも5にも10にもなる可能性を秘めているのです。

 

左脳の特徴は、ものすごく速い情報処理能力です。

そして、物語を作り上げる能力にあります。

 

特に言語中枢の物語をつくり出す部分は、

最小限の情報に基づいて、自分自身の外側の世界を

理解するように設計されています。

 

 

このことからも分かるように、物語をつくり出すのですが、

辻褄が合わなくても、自分自身を納得させるためには、

一つの物語が成立していたら、それは問題にならない、

という側面があります。

物語をつくり出そうと思ったら、過去の記憶情報を呼び起こして、

物語としての流れが大事な要素となってきます。

 

しかしながら、瞬時につくりあげなければいけないので、

そうなってくると空白が出てくることも多々あるのです。

そういった空白を、左脳は埋めることができる能力がある

ということなのです。

 

その空白を埋めるものは、事実ではないものかもしれません。

過去の記憶情報の中に、その空白を埋めるものが

見つけられなかったとしても、その空白を何かで埋める能力を持っている。

 

 

また、一度つくり始めた物語が、

”おかしい”と感じるものであれば、

代替案を差し出す準備も兼ね備えている

という能力もあるのです。

 

このように左脳を優位に働かせすぎると、

どんどん”あらんこと”を考え出す、

つまり暴走する、という事態になりかねません。

 

 

その結果、自らを苦しめる思考パターンをつくり出し、

”苦痛”を感じさせるように仕向けている。

そのように考えることもできます。

 

 

結構専門的な話になってしまいましたが、

左脳と右脳についての理解が深まったのではないでしょうか?

大事なことは、こういったことを知った上で、

あなた自身がどのように生きていくのか

ということです。

 

 

どのように生きていきたいのか?

 

どのような生き方、理想像を目指していきたいのか?

そこが大事なところだと思うのです。

 

左脳に偏った脳のアンバランス状態から抜け出し、

左脳と右脳の調和を取り戻す生き方を目指すことが

大事になってくると思うのです。

 

左脳の”おしゃべり”を止めさせれば、

調和のとれた世界を感じることができます。

また、つくり出すことができるようになるのです。

 

 

あらゆるものとの調和のとれた世界で、ココロ穏やかに生きていく。

 

そのような生き方、人生を取り戻したいと思いませんか?

 

わざわざ、自ら苦痛を与えるような生き方を続ける必要はありません。

あなた自身が、あなた自身の中で起こっていることを

観察し、認識することができるようになると

脳内で導き出された”もの”を採用しなくて良くなるのです。

 

つまり、自由意志はないけど、自由否定ができる、

ということなのです。

 

 

もう十分じゃないですか?

 

自らを傷つけ、苦しめ、破壊する。

そういった生き方から解放することができるのは、

他でもない、あなた自身なのです。

 

 

 

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