自分探しで迷走するあなたに贈る、”わたし”の見つけ方

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

”わたし”って、一体どこにあるんだろう?

“わたし”って、何なんだろう?

 

そのような疑問を持ったことはありませんか?

 

わたしは、何度もあります。

 

その答えは、あってないようなものですが、

その問いは常に持っているような気がします。

 

物資的な存在としては、カラダというものがあるから、

”わたし”を実感することができます。

でも、カラダだけが、わたしという存在全てを

証明できるとは言えませんよね?

 

ココロも”わたし”を形成しているし、”魂”とか、

色んな側面で”わたし”というものを多面的に捉えていくことで

”わたし”とは?の答えが見えてくるのではないかと思っています。

 

 

わたしの場合、”わたし”というものの答えを知りたいのではなく

色んな側面から、”わたし”を捉えていくことで

人間の本質を理解することができたら良いな、と思っているのです。

 

 

答えは、見つからなくても良い。

答えは、あくまでプロセスの途中段階を

部分的に切り取っただけのものだと思うのです。

 

ある答えを導き出しても、いずれまた別の答えが見つかるかもしれない。

答えを決めてしまうことは、自分自身のみている世界を

狭めてしまうことになるからです。

 

そうじゃなく、常に新たな価値観を持ってモノゴトを探求していくこと。

そういう生き方の方が、成長や進化できると思うのです。

 

 

結果よりも、大事にしたいものがあります。

ある答えを導き出した、そのプロセス。

そちらの方にこそ、わたしは価値を感じてなりません。

 

 

色んなフィルターを持つことができる、

そのフィルターのひとつひとつで、深くモノゴトをみることができる。

 

そういった自分のフィルターを増やすこと、

ひとつひとつの質を高めることが

わたしにとっては、大きな価値だと感じるのです。

 

 

今日のブログでは、”わたし”というものの存在について

考えていきたいと思います。

 

 

わたしってなんだろう?

 
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自分って、どこかにあるのだろうか?

 

そう思ったこと、考えたことはないでしょうか?

そして、その答えはみつかりましたか?

 

わたし、というものは

”ある”し、”ない”。

 

わたしたちは、

”ある”と、”ない”という両極を含んだ

矛盾している世界に生きているからです。

 

 

どういう視点でみるのか?ということによって、

”ある”にもなるし、”ない”にもなる。

 

 

ひとは、自分に”ない”と思い込んでいるものを

求める傾向にありますよね。

 

そして、”ある”ものに執着したり、関心を示さずに

ときには、”ある”ものを捨てようともする。

 

何て自分勝手な生き物なんだ、といつも感じるわけです。

 

実は、これも”思い込み”によって支配されているだけにすぎません。

 

自分に”ない”と思い込んでいるものは

実は、すでに自分の中にあるのです。

 

ただ、”ある”ことをみえないから

”ない”もの、として捉えているだけにすぎないのです。

 

自分の中に”ある”から

”ない”ということに気がつくことができるのです。

 

 

“わたし”や“自分”、というものは

”ある”し、”ない”。

 

わたしは、”ある”といっても

じゃあ、『わたしって何?』と聞かれたときに、

どのように答えることができるでしょうか?

 

明確に答えることができるひとは

どれくらいいるでしょうか?

 

”ある”と答えるひとは

わたし、という存在の

ある側面、瞬間的なものを切り取って、それを

”わたし”と言っているだけです。

 

そして、これは”わたし”だけど

それは”わたし”なんかじゃない、って

 

ある側面の自分は、受け入れているけど

別の側面の自分は、受け入れることができずに分離しているわけです。

 

自分自身のことに置き換えて理解できないのであれば

身近なひとに当てはめて、そのひとの話を聞いているときに

観察してみると良いですね。

 

 

『こんなわたしは嫌い』

『こんなわたしは、わたしじゃない』

など・・・

 

 

自分の都合の良いものは、”わたし”にはなっているけど

都合の悪いものは、”わたし”ではない、

ということになっているはずですから。

 

 

本当に、自分の主観の世界に生きている

なんて身勝手な生き物だと、思いませんか?

 

 

多くのひとは、わたしという存在とつながることができていません。

 

 

つまり、分離していて

一体感を欠いている状態で生きているのです。

 

 

そして、”わたし”自身とつながる方法を知らないのです。

 

というのも、どういった感覚が

”わたし”自身とつながった感覚なのか、が分からないからです。

 

分からないから、いざ、自分自身とつながりましょう、

と言ったところで何かしらの方法を試してみても

それが、つながっているのか、つながっていないのか、が分からない。

 

分からないから、いくら具体的な方法を知っていても

継続することができずに、自分自身とつながることをやめてしまうのです。

 

 

 

”わたし”自身とつながる方法はあるのか?

 

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その答えは、『イエス』です。

 

 

じゃあ、具体的にどうしたら良いのか?

ということが知りたいですよね?

 

 

それは、胸をさすることです。

 

 

どういうことか?

 

 

”わたし”という言葉を発するときに

手をつけるときに、あなたは”手”をどこに置きますか?

 

 

”わたし”と発するときに

まさか、頭に手を置いて発するひとはいないですよね。

 

もし、そんなひとがいたら、よっぽど頭痛持ちなんじゃないかと

違う意味で心配してしまいます。

 

 

ほとんどのひとが

胸に手を当てて、”わたし”と言うはずです。

 

そう、無意識に

”わたし”というのは、胸にあるということを知っているのです。

 

 

”わたし”を感じるために必要なこと、

胸に”わたし”がある、ということは分かった。

 

 じゃあ、その”わたし”って

『どうなっているの?』ってことが重要になってきますよね。

 

 

自分自身の胸をさすってみて

あなたは、どのように感じますか?

 

 

自分のカラダなのに

胸をさすられること、触れられることに

違和感や不快感、受け入れられない感覚を抱いたかもしれません。

 

 

もし、そういった状態にあるのなら

あなたの中の”わたし”は、閉じちゃってます。

 

 

外部との壁をつくり出し、緊張し、固くなることで、

あなた自身を守っているのです。

 

 

その固くなっている胸を気持ちよくなるように、

感謝の想いを込めながらさすっていると

次第に、手も胸も温かくなってくるでしょう。

 

そして、抵抗感がなくなってくるとともに

心地良くなってくるはずです。

 

 

そのときに、安心感が生まれませんか?

 

そこにある、安心感。

 

 

安心感と、ともに”わたし”自身との一体感、つながりを感じませんか?

 

 

なんとも言えない

”わたし”という存在が守られている感覚。

それを感じられるはずです。

 

 

すぐに、その感覚を感じることができないひともいるかもしれません。

そういったひとは、これまでの人生において

随分、頑にあなた自身を守ってきたのだと思います。

 

 

時間はかかるかもしれませんが

なるべく、多くの時間を費やして、固くなっている胸を、

感謝の想い、『ありがとう』という想いを込めながら、

“さする”ことをお勧めしたいですね。

 

 

やっていけば、確実に変わりますから。

 

 

そうやって、自分自身とのつながりを取り戻すことができるし

安心感をも手に入れることができるわけです。

 

 

 

そう、安心感は自分の外側に求めなくても

自ら、つくり出すことできるのです。

 

 

これまでは、自ら安心感なんてつくり出すことはできない

って思い込んでしまっていたのではないでしょうか?

 

 

それは、”思い込み”に支配されてしまっている

ということです。

 

 

できる、ということを知れば

できる、ということを体感すれば

いつでも、あなた自身で安心感も、一体感をも

つくり出すことができるのです。

 

 

ただ、やるのか、やらないのか

それは、あなた自身に選択肢が委ねられています。

 

 

カラダへの意識って、本当に大事です。

カラダから、また始められるのです。

カラダの声を聴き、あなた自身と向き合って欲しいと思っています。

 

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