学んでも変われないのは、取りたい情報だけしか受け取っていないから

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたしたちは、生きている中で様々な情報に触れながら生きています。

しかしながら、そういった膨大な情報というものを

全て認識することは不可能なのです。

 

 

膨大な情報処理を脳がしきれないということもありますが、

結局は、自分自身の見たいようにしか世界は見ていないし、

情報も受け取っていません。

 

本当は、多くの情報を受け取ることができるのに、

それをやらない。

もちろん、脳の負荷を減らすため、という側面もあるのですが、

それ以上に、自分の主観で見た世界に固執しながら生きている、

という側面が大きいのではないかと思うのです。

 

自分の都合の良い情報だけを受け取り、

都合の良いように意味づけや解釈をする。

そうやって、自分の世界を広げないように生きている、

とも言えます。

 

それって、もったいないですよね?

 

生きる意味や目的って何でしょうか?

 

もちろん、ひとそれぞれに違っているとは思いますが、

自分自身の成長や進化という本質的な目的があると思うのです。

ということは、自分の世界を広げるためには、

自らの価値観で世界を狭めながら生きている

”わたし”を破壊していく必要があると思いませんか?

 

価値観というものは、一度出来上がったものを

死ぬまで使い続ける、ということが健全な生き方だとは思えません。

生きていく中で、体験することや知識など、

そういったものがあって、どんどん新たな価値観へと

再創造されていくことが大事だと思うのです。

再創造に伴いながら、成長、進化していく。

そのために、どういう生き方をしていけば良いのでしょうか?

 

今日のブログでは、あなた自身が成長、進化していくために

重要な価値観の在り方について話を展開していきたいと思います。

 

 

 

偏った世界で生きている”わたし”

 

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わたしたちが好きなもの、嫌いなもの。

ひとそれぞれに、違いがあります。

もちろん、違いがあることは当然のことですよね。

 

わたしたちは、何も意識していないと、日常生活の中で

自分の色眼鏡、自分の主観に偏った価値感でしか

モノゴトをみていません。

 

 

そして、

自分の都合の良いように解釈したり

自分の取りたい情報しか、取っていないのです。 

 

 

つまり、自分が好きなもの、嫌いなもの、というものは、

過去のある体験において、その事象に対して、

自分にとって”快”だったのか、”不快”だったのか、

という主観的な観点から

”好き”、”嫌い”というラベルを貼付けてしまった。

 

そして、ラベル付けしてしまったものが何度も意識に上るたびに、

どんどん思い込みを強めてしまった結果にすぎないのではないか

と思うのです。 

 

 

しかしながら、多くの経験をする中で

その”好き嫌い”のラベルが変化するときがあります。

 

年を重ねるごとに、カラダの変化だけじゃなく、

ココロの変化があります。

生きていると、自然に、そういった変化を伴うものです。

 

 

分かりやすい例で言えば

食べるものが、小さいときには、まったく受け付けないから

ダメだったものが大人になってからは、大丈夫になった、

ということがあります。 

 

これは、色んな体験をする中で、

つまり、異世界を知ることで、自分の固定概念というものが崩れて

ラベル付けしたものが、剥がれたと言っても

良いのではないかと思うわけです。 

 

多くの体験をすることや、様々な価値感を知ることで

自分の狭い価値感から、世界が広がる、

ということがあるからではないでしょか。 

 

 

 

パラダイムシフトを起こそう!

 

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結局、このブログで何を伝えたいのか、というと

 

自分の取りたい情報だけを

都合の良いようにしか取らない

という生き方を変えてみる

ということを提唱してみたいのです。 

 

 

わたしたちは、上にも書いたように、

取りたい情報しか取らない。

取りたい情報を取るときに

他の膨大な情報というものを排除し、

捨てているのです。 

 

 

捨てている情報は、自分にとって関係ないもの、

都合の悪いもの、嫌なものとして、扱われてしまっている。

そういった情報というのは、意識に上ってこないけど、

自動的に排除されているのです。 

 

 

その捨てられている情報というものに意識を向けてみる

ということは、自分自身の狭い価値感を破壊し

世界をひろげる、ひとつのキッカケになるかもしれませんよね? 

 

もちろん、捨てている情報に意識を向けるということは

一見、自分には嫌なもので、関係のない情報だから、

無駄だし、意味のないことだと捉えてしまうかもしれません。 

 

 

これまでは、捨ててしまっていた情報を取り入れたとしても

ただ、バラバラになって点在しているだけかもしれませんが、

そのバラバラな情報を統合していくことによって、

新たな価値感を創造するはずです。

 

わたしたちが、いくら口で変わりたいとか

進化したい、とか

成長したい、とか言ったとしても

 

 

無意識で、自分の取りたい情報しか取っていない

ということに、自分自身で気づかなければ、

何も変化は起こりません。 

 

そこには、大きなエネルギーコストがかかるけど

やる価値は十二分にあります。 

 

 

自分自身が成長し、進化する。 

ひとが生きる目的や意味があるとすると

自分自身の成長や進化というものが

それにあたるものだろうと思っています。

 

いまの価値感だけで、人生を生きていくのであれば

自分の都合の良いように、自分の取りたい情報だけしか

取り入れないから、何も世界は広がることはありません。

 

それって、ある意味で、何のために生きているのだろうか?

と思ってしまいます。 

 

色んな経験は重ねていくけれども

その経験が、まったく何の役にも立たない、

なんてことになりかねません。

 

経験があるからこそ

その経験から、何かを学び、気づき、

自分自身の成長や進化につながるのだと思うのです。 

 

自動的に生きる、というのは楽な反面

自分の成長や進化にはつながりません。

 

 

どういう生き方を選択するのかは、わたしたち、

ひとりひとりに選択肢が委ねられているのです。 

 

あなたの、”好き”や”嫌い”は、自分の都合の良いように

情報を積み重ねてきた産物なのではないでしょうか?

もしくは、思い込みを強化してきただけの結果なのではないでしょうか?

 

どういうプロセスを経て、自分自身の

価値感がつくり出されてきたのか

そこを知ることで、自分の価値感を破壊し、

新たな価値感を創造するキッカケとなるのです。

 

 

そうやって、柔軟に固定化しないで、生きていくこと。

それが、どんどん新たな価値観を再創造しながら

生きることにつながるのではないかと思います。

 

 

まとめ

 

あなた自身が、人間的な成長や進化したいという想いがあって、

色んなことを学んだり、体験したりしようとするでしょう。

でも、何か特別なことを、わざわざやらなくても

成長や進化することは可能です。

どういうことかというと、今日のブログで

書いてきた内容とつながるのですが、

わたしたちは、日常生活の中で、自分自身が

取りたい情報だけしか受け取っていないのです。

そういう側面があります。

ということは、多くの排除している情報がある、

ということでもあるわけです。

そういった排除している情報をキャッチしていくこと。

 

それを意識的に、日常生活の中で実践していくことで、

これまでは感じなかったことや見えなかったことを

感じ取れるようになります。

すると、どうなるでしょうか?

 

これまでに感じなかったことや、見えなかったことを

感じられるようになるということは

感じる世界や、見える世界が”変わる”ということでしょう。

つまり、普段の何気ない時間の流れ、

それが、ある意味”ルーティンワーク”のように生きていたものが

新鮮な世界を感じることができるし、見えるようになる、

ということです。

 

それは、ただ生きているだけで、様々な”学び”や”気づき”を得られる、

ということです。

何か特別なことをしなくても、日常生活の中で、

あなた自身にとって十分な”学び”や”気づき”が得られる、

ということなんですね。

 

だから、ただ日常生活を生きているだけで、

あなた自身の成長や進化が起こる、ということになるのです。

 

わたしたちは、何か特別なことをやらないと、

「意味がない」とか、「価値がない」とか、

そういった幻想の世界に生きてしまいがちです。

自分という存在の外側に、何か大事なものがあり、答えがある。

そのように思い込んでしまっています。

でも、それは、ただの幻想です。

日常生活の中に、すでに十分すぎるほどの大事なものが含まれている。

ただ、それをキャッチできないだけなのです。

 

キャッチできるようになると、何かを”わたし”の外側に

求めることもなくなるでしょう。

”学び”や”気づき”、”答え”というものは、目の前にあるし、

自分自身の中に、すでに多くが存在している、

ということに気づけるから。

そうやって生きられるようになると良いですよね。

そのためには、まずは”意識的に生きてみる”ということでしょう。

受動的に、無意識的に生きていては、

自分の取りたい情報しか取っていません。

だから、いつまで経っても、自分の価値観を

破壊するような出来事は起こらないし

自分の世界が広がることはないのです。

あなたは、どれだけ多くの情報を排除しているのでしょうか?

意識的に生きることで、まずは、そこにあなた自身が

気付くことが大事なのではないでしょか?

 

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