「変わりたい」のは”きっかけ”や”手段”であり、本当の目的は別にある。

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたしたちは、生きていく中で様々な問題を抱えます。

では、なぜ問題を抱えてしまうのでしょうか?

ざっくり言うと、自分自身が成長、進化するために

様々な問題を抱えてしまう、ということが言えると思います。

 

もちろん、そういった側面が大きいでしょう。

わたし自身も、そのように捉えています。

 

でも、ちょっと視点をズラして捉えてなら

自分ひとりで、何かを成し遂げる、

ということが目的ではなく

 

色んなひとを巻き込んで(良い意味で)、

あらゆるものとの一体感を感じながら

あらゆる問題を乗り越えていきたい、

という側面があるのではないかと思っているのです。

 

 

なんで、そう思うのか、というと

漫画とか、映画とかを観ていても、そういった

ストーリーって共感しますよね?

そこに入り込んでしまいませんか?

 

なぜならば、ひとが幸福を感じるのは、

「あらゆるものとの一体感を持ちながら生きている」状態を

「幸せ」だと感じるからです。

 

 

ひとは、ひとりでは生きられない、社会的な生き物です。

だからこそ、仲間や家族と、共に成長したい。

そういった人間の本質的な欲求があるのではないかと思うんです。

 

今日のブログでは、ちょっと視点をズラしてみて

「変わること」の本質について

わたしの持論を展開していきたいと思います。

 

 

 

潜在意識の壁

 

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ひとが変われないのは、潜在意識の壁が大きく立ちはだかる、

という側面が大きいでしょう。

 

その壁を乗り越えようと思ったら、

潜在意識に引き戻されそうになる自分を

戻されないように、前に進めていく必要があります。

 

『量質転化』という言葉があります。

これは、言葉のままに

”量”をこなすことが、”質”へと転化されるということです。

 

言葉だけをみてもピンとこないかもしれませんね。

 

あらゆるモノゴトにおいて、何か行動をやり始めても、

すぐに変化することはありません。

表面的には変化しているようにみえても

本質は、まったくといっていいほど、変化はしていないものです。

 

 

わたしたちのココロとカラダは、現状維持の働きが備わっているので、

はじめは、まったく変わらないけど

ある一定の量を超えると急激に変化するという側面があります。

 

 

しかしながら、これを言葉だけの理解で終わってしまうひとが

多いのではないでしょうか。

 

なぜなら、本当に自分の中に落とし込もうと思ったら、

自分自身で、実際に体験するということが不可欠だからです。

 

体験を伴っていないから、その言葉が腑に落ちないし、

信じることができない。

 

つまり、

自分自身が変わるためには、必要な一定以上の量をこなす

ということが大事になってくるわけです。

 

 

多くのひとが変われないのは

一定以上の量をこなすことができないがために

”質”に転化することができずに、諦めてしまう。

または、挫折、断念してしまうのです。

 

これって、本当にもったいないことだと思うんですね。

自分の壁を乗り越えることができないのは、その方法が

わからないまま、壁を乗り越えようとしているようなもの。

 

エネルギーのペース配分が分からずに、

壁を乗り越えるまでに、途中でエネルギー切れを起こしてしまっている。

 

壁を乗り越えるまでが、もっともエネルギーを使うのに、

最初から飛ばしすぎて、すぐにエネルギー切れを起こしてしまう。

 

あと少しで、その壁を乗り越えるってところまできているのに、

エネルギー切れを起こしているがために乗り越えることができない。

 

 

”はじめ”、というのはモチベーションも高いし

『さあ、やってやるぞ!』と意気込んでいるから、

どんどん前に進んで行くような感覚がありますよね。

 

しかしながら、目的地への地図をもたずに進んでいるようなものだから

すぐに道に迷ってしまって

この方向で良いのかな?とか

このペースで良いのかな?とか、どんどん不安になってくるわけです。

 

そうやって、色んな思考をする度に、どんどんエネルギーが

分散してしまって、結局、エネルギーが枯渇してしまうんです。

 

 

 

潜在的には、本質的なものを求めている

 

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モチベーションを保ちつつ、エネルギー切れを起こさないように

ペース配分や、勇気づけの声かけをしてくれる存在がいたら、

どんなに心強いだろうと思いませんか?

 

テレビの番組で、24時間マラソンというものをやっているけど

それを観ていると、走るひとの側には、ペース配分を考えたり、

カラダのケアをするひとがいたり、声かけをするひとがいますよね。

 

そうやって、色んなひとのサポートがあるから、

決してひとりでは成し遂げることができないことが可能になってくるのです。

テレビ番組だから、”やらせ”があるから走りきれる、

とか、そういったことは抜きにして、ですよ。(笑)

ああいった場で走ることになったひとっていうのは、

普段、マラソンに親しんでいて、フルマラソンを何度も

完走しているようなひとって、選ばれないですよね?

 

逆に、普段そういった環境にないひとを走者として抜擢することで、

苦しみながらも、走り続けることや完走する姿を映し出すことで、

みているひとに感動を生ませているわけです。

 

いわゆる「演出」ってやつですね。

 

テレビの演出といってしまえば冷めた言い方にはなりますが、

テレビでやっていることは、そういった

演出というものがかならず絡んでいるものです。

 

 

普段、マラソンが趣味で、いくつもの大会を完走し、

フルマラソンよりも距離の長いウルトラマラソンを走った

経験があるひとが、テレビで走っていても面白くはないですもんね。

また、そういった経験者がひとりで走っている姿をみても、

感動はうすくなるでしょう。

 

 

経験の少ないひとが、周りのサポートを受けながら

”ひとり”ではなく、みんなで、走り切る、

というところに共感し、感動するのですから。

 

 

このように考えてみると

わたしたちも、変わりたいと思っているひとが多いけど、

自分自身がちょっと努力したら、自分が抱えている問題を

解決することができる、ということをやりたいのではなく

多くのひとを巻き込みながら、ひとに支えられている、

自分自身が生かされているということを実感しながら

自分一人では、なかなか乗り越えられない課題を、

みんなと共に乗り越えていくために、

様々な課題を与えられているのかもしれません。

 

 

もちろん、そうは捉えられないひともいるでしょう。

ある視点からみると、そのように捉えることもできるよね、

ってことを言っているだけなのです。

別に、この価値観を押し付けようって意図は、

全くもってないです(笑)

変わりたい、というのはキッカケであって

自分自身も誰かを支えているけども、逆に

多くのひとにも支えられて生きている、ということを

実感、体感することが目的なのかもしれません。

 

 

それは、抽象度を上げて、視点を高くすると

ひとつである、ということを感じる、

ということになるのではないでしょうか。

「ワンネス」とか、「つながる」とか言ったりしますが、

結局は、そういった本質を体感するためのキッカケや手段

なのかもしれません。

 

 

バラバラになっているからこそ、

ひとつになりたい衝動が生まれる。

目の前に現れている現象は、個々で違えど、本質は、

みんな同じものを見ているし、求めているのだと感じています。

 

 

 

感じたことを表現してみることが大事

 

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あなたは、どう思いますか?

 

このブログを読んで、何か感じることや、思うことがありましたら、

ぜひ話を聞かせて欲しいと思います。

 

何が正しい、何が正しくない、ってないんですから

”わたし”は何を感じて、どう思っているのか。

そこを大事にしながら生きていく、

ということが大事なことだと思うのです。

否定されるのが怖い。

もちろん、そういった気持ちもあるでしょう。

でも、それは仕方がないことなんです。

ひとそれぞれに価値観が違っているのが当たり前なのですから。

そこを怖がりながら生きていくのはなく

価値観が違って当たり前。

 

だから、わたしの意見や想いが、相手に

受け入れてもらえるのか、もらえないのかは、

自分が気にすることではない、という立ち位置で

生きられるようになることが大事でしょう。

そのためには、エクササイズです。

日々の生活の中で、”わたし”を表現してみる。

 

いきなり大きく行く必要はありません。

最初はちっちゃくいけば良いのです。

そのうち慣れてくるから、そこまで継続できるってことが大事です。

ということで、あなたの感じていることや、思いを聞かせて下さいね!

 

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