自分の殻に閉じこもり、ポジティブ病に陥る人々

      2017/09/21

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

多くの人が世の中のあらゆるモノゴトをポジティブなもの、

ネガティブなものとを識別する傾向にあります。

モノゴトを中立的な立場のままにしておく、ということを許さない。

そのような傾向があります。

 

”何か” という状態や、概念に当てはめる

という『型にはめ込む』ということで安心感を得られるということから

そのようなプロセスを踏んでいるということが言えると思うのです。

宙ぶらりんな状態、どっちつかずの状態というものを、

とても嫌います。

 

だからこそ、どちらかに偏った状態に固定する。

そうやって、自ら安心感を得るために

『固定概念』をつくり出しているとも言えると思うのです。

 

 

『固定概念』をつくり出すということは、

安心感を得るための手段であり、方法であるとも言えますが、

その一方では、『固定概念』による縛り、

というものが同時に生まれることになります。

 

その結果、その『固定概念』からは抜け出した思考ができない

ということになり、ある決まった思考パターンに支配される

ということになるのです。

そして、自ら世界を狭めてしまい、あらゆる苦しみを

生み出してしまうということになってしまっています。

 

 

今日のブログでは、ポジティブな側面を増やすことに偏っている

『ポジティブ病』に陥っているひとについて話を展開していきたいと思います。

 

 

 

ポジティブな側面だけを増やすことの危険性を認識しよう!

 

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SNSで様々な投稿を見ていると、ポジティブなものをいかに増やすことが大事である

といったような内容の投稿を見ることが多いと思いませんか?

逆に、ネガティブな内容の投稿というものは、

ないことはないのですが、多くのひとがそういったものを

忌み嫌う傾向にあるから、あまり出てこない。

 

あっても、それは避けられる、または排除されるという傾向があります。 

 

つまり、ネガティブが “悪いもの” という対比がなされ、

ポジティブが “良いもの” という構図になっているのです。 

 

 

 

でも、それって視点の低い

抽象度の低い視点しか持てないひとの捉え方にすぎないのです。

ポジティブばかりにフォーカスし、

ポジティブな側面だけを拡大しようとしている。

 

『こんなにもポジティブが増えました!』

そのように言っているようにも聞こえなくはないでしょう。 

 

 

そもそも、ポジティブもネガティブもないのですから。

ある偏った視点でモノゴトを捉えているから、

ポジティブやネガティブといった捉え方というものが発生しているだけです。

 

分かりやすく言うと、自分が思っている自分の長所は、

ある側面においては長所となり得るけど、

そこから外れると短所にもなりうる。

 

 

そのように表裏一体なのです。

どの角度から見るのか、どの視点でモノゴトを捉えるのか、

ということの違いでしかありません。

 

 

あらゆるモノゴトに配慮ができる、

空気の読める、気配り上手なひとがいるとします。

それは、その言葉だけを捉えると、

確かにそのひと自身の長所だと言えるでしょう。

 

しかしながら、それはあるひとにとっては見方が異なると、

短所になり得るのです。

 

ある偏った側面で切り取るということは、

『ある概念に当てはめる』ということになります。

そうやって、言葉にするということは、

必ず言葉による『縛り』という制約を受けることになるのです。

 

枠を広げてみることで、言葉の縛りから解放されるようになります。

つまり、それは抽象度を上げた、視点の高い見方ができる

ということです。

 

 

話を戻して、ポジティブなものばかりに意識を向けてしまっていて、

偏ったポジティブ世界を構築しようとしているひとが少なくないですが、

コインを例に出すと、ポジティブがコインの表側だとします。

 

そうすると、必然的に同時にコインの裏側というものも

存在することにもなるわけです。

つまり、コインの裏側というのが、ネガティブだといえるでしょう。

 

 

このようにポジティブなものばかり増やすということは、

同時に認識はしていないけど、ネガティブなものも増やしている、

ということに気づいていないし、認識できていないのです。

もちろん、気づいていたら、増やそう

という発想なんて起こらないとは思いますが・・・。

 

ポジティブを増やすということは

コインの表側の表面積を拡大するということになります。

その結果、同時に裏側のネガティブな側面も増やしている

ということになるわけです。

 

 

表裏一体なのですから、どちらか一方だけを増やす

ということはできないのです。

そうやって、同時に両極を内包している世界に生きているわたしたちではありますが、

多くのひとはコインの表側だけを見ていたいし、

裏側なんて見ようとしない状態で生きているとも言えるでしょう。

その結果、見たくないものには蓋をする、

という行為を選択し続けているということになるのです。

 

 

見たくないものに蓋をし続けた結果、どうなると思いますか?

 

 

そこには限界というものがあります。

ある閾値を超えたとき、急に制御不可能な衝動により、

ネガティブな側面という負のエネルギーに支配され、

自己崩壊が起こることになるのです。

 

そのことを、どれだけの人間が認識しているのでしょうか。

このような状態に陥ってしまっているひとのことを、

『無知の無知』と表現することができるでしょう。

 

 

無知とは、ある意味怖いものなしの状態ですが、

その状態を続けた結果、恐ろしい結末が待っているということに、

多くのひとは気づいていない。

気づいていたとしても、見てはいけないものとして、

避けていたり、封印してしまっているのです。

 

 

そういった状態に陥ったまま生きているひとのことを見ていると、

”痛い人” だと感じてしまうのです。

批判するとか、そういった意味合いで使っているのではなく、

『無知』とは恐ろしいな、という反面教師として書いています。

ポジティブ病ともいえる、多くのひとが陥ってしまっている重大な問題なのです。 

 

手遅れになる前に、一刻も早く気づいて

”止血” しないと大変なことになってしまうのです。

そのような状態に陥ってしまっているひとは、

視点が低い、抽象度が低い状態でしか、

モノゴトを捉えることができないという問題を抱えています。

 

当然ながら、そのことに気づいてはいないのですが・・・。

 

 

あらゆる問題は、視点の低さ、抽象度の低さにより、

つくり出されているということを知って早急に対処していかないと

どんどん現実離れした、ふわふわした生き方しかできなくなってしまいます。

つまり、自立した生き方ができない、依存するしか

”安心感” を得ることができない生き方になってしまうということでもあります。

 

 

あなたはどうでしょうか?

地に足をつけて、現実世界と自分自身を観察していれば、

いかに『ポジティブ病』が危険なことなのか、

ということが理解できると思うのです。

 

 

 

自分自身と対話するということ

 

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自分の中には分かりやすい言葉で言うと、

ポジティブな部分と、ネガティブな部分が同時に同じだけ存在しています。

表現を変えるなら、良い部分と、良くない部分。

 

何をもって、ポジティブとかネガティブであるとか、

良いとか、良くないとか

 

 

そういったことは個々の価値観が違っているからこそ、

個々で異なっているものなので、

ここではそのことについての突っ込んだ議論はややこしくなるので、

ひとまずは置いておきます。

 

あなた自身の価値観による認識や判断で、

“言葉” を捉えていただけたらと思います。

 

 

多くのひとは、自分自身の見たくない部分に蓋をしながら生きている

といっても過言ではないでしょう。

だから、そういった見たくない部分に蓋をしながら、

自分の見たい部分、受け入れられる部分だけを見ながら生きている。

 

そのように言い換えることができると思います。

つまり、自分自身に引きこもった生き方をしているのです。

自分の殻に閉じこもった生き方、自分の壁を

強化している生き方をしているわけです。

 

 

自分の見たくない部分。

そういったものと直面すると、

多くのひとがどうするのかというと排除しようとするのです。

 

『それは、わたしではない』

そのように、見たくないものは排除する、

もしくは蓋をすることで見なかったことにする、

という対処をしているのです。

 

 

そうやって、自らを分離する生き方を選択してしまっているのです。

その結果、自分自身の中で乖離が生じてくるようになるのです。

 

 

自分自身の見たくない部分。

それを受け入れること、受け止めることをしようと思ったら

、そこには少なからず “葛藤” が生まれることになります。

この『葛藤』というものは、“良くないもの”

として捉えてしまいがちですが、そうではありません。

むしろ、自分自身を成長させるためには、欠かせない要素なのです。

言い換えると、自分の世界を広げるための重要なキッカケ

でもあるし、要素でもあるのです。

自分の殻に閉じこもっている、自分の壁を強化する

という生き方をしてしまうと、

それは自分自身の価値観を絶対化していく方向性に進んでしまうのです。

 

 

その一方で、そうではない方向性に進むためには、

自分という存在と、自分ではない存在との比較をしていくことが重要なのです。

この自分じゃないものとの比較を行ったときに、

『葛藤』というものが生じるのです。

『葛藤』が生まれるから、『差分』が生まれます。

その『差分』があるから、自分という存在と、

自分ではない存在との ”すり合わせ” を行って、

一段抽象度の上がった価値観というものを創造することができるようになるのです。

『葛藤』という摩擦、衝突が起こるから、

そこにエネルギーというものが生じます。

そのエネルギーをどのように使うのか、

ということが重要なことだと思います。

そのエネルギーを自分の価値観を

絶対的なものに強化していく方向性に使っているのではなく、

自分の外側の世界というものと、

すり合わせていく方向性に使っていくことが重要なのです。

 

そして、自分の中で起こった葛藤により生じたエネルギーを活かすことで、

あなた自身の視点を上げること、抽象度を上げることに使えるようになるのです。

自分という存在を捨てることができて、

自己中心的な発想で生きることから抜け出すことができたなら、

このように自分の外側の世界と “すり合わせていく”

ということに恐れなくなります。

 

自分の価値観というものを守ろうと、

執着する、固執することで、恐怖というものが生じることになるのです。

 

一度築き上げたもの、手に入れたものを失いたくない。

そういった、何かを失うことへの恐怖。

それが、”自分” という存在への執着や固執につながっているのです。

そもそも “自分” という存在なんてないのですから、

そこにこだわらなくてもいいのですが、人間というものは、

そういう特性を持った生き物である、ということを認識して、

その状態に巻き込まれない立ち位置で、

自分という存在と関係していくことが重要なのです。

 

つまり、自分自身を俯瞰してみること。

この状態をつくり出すことが、重要なことであると言えるでしょう。

それが、視点を上げること、抽象度を上げることにつながるのですから。

『葛藤』というものが生じるからこそ、

『思考』をするためのキッカケが生まれます。

多くのひとが、超情報化社会の影響を受けて、

『思考停止』という状態に陥ってしまっているのです。

 

情報が増えることで、考えるという機会を奪われてしまっている。

その結果、『思考停止』という “病” に陥ってしまっているのです。

自分自身の中で葛藤が生じたときに、

そのキッカケを活かすも、殺すも、自分次第ということになります。

『葛藤』が生じても、そのまま見て見ぬ振りをすることも可能であるし、

うやむやにして葬り去ることも可能だからです。

 

多くのひとは、『思考』することを放棄していますから、

その結果として現状維持の生き方を選択しているわけです。

 

 

閉じこもらないで扉を開き、外側の世界に踏み出そう!

 

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どこまでも、自分自身の現状維持を頑なに守りながら生きていく。

いくら口では変わりたいと言っていても、

本質的な部分では変化というものを望んでいません。

自分の殻の中に閉じこもって生きていくことが、安全だと思っているからです。

それが、安心感を得るための絶対的な方法であると思い込んでいるからなのです。

 

 

そうやって自分自身の価値観を絶対化する方向に進みながら生きているのです。

そうやって進んでいく末には、自己崩壊という道が待っている

ということを認識せずに、進み続けているのです。

 

 

自分の価値観は絶対的なものではありません。

少なくとも、あなた自身の中だけでは、絶対的なもの

として君臨しているかもしれませんが、

あなたの外側の世界では、あなたの価値観が、

どうであるかなんて何も関係ないのですから。

 

 

自分の中の常識は、世界の常識ではない。

そこを認識する必要があるのです。

 

 

 

でも、多くのひとは、そのことを認識したくない。

認めたくないし、受け入れたくないのです。

認めてしまったら、受け入れてしまったら、

自分という存在がなくなってしまうような気がするから。

 

だから、自分という存在を守るために、

自分の価値観を絶対化する方向に進んでしまっているのです。

そうやって、自らどんどん苦しみを増やしている。

そのことに気づかないまま、

苦しみを生み出すサイクルの中で生きていくことを選択し続けているのです。

 

 

その負のサイクルの中で生きている状態から抜け出すことが重要です。

自分の中で生じた葛藤。

それをもって、自分の外側の世界と交わっていかなければいけないのです。

それでしか、本当の意味で “自分” という存在を知ることはできないのですから。

 

 

このように、自分という主体と、自分ではない主体との比較を行うことで、

自分という存在を認識していくことが重要なのです。

それが、自分自身との対話です。

 

自分自身の価値観を絶対化するという、

自分の殻に閉じこもる、自分の壁を強化する方向に進んではいけないのです。

多くのひとが、ここを勘違いしている。

または、間違った捉え方、認識をしているのです。

 

 

大事なことは、自分と自分の外側の世界との “差分” を認識して、

そこをすり合わせていくというプロセスを踏みということなのです。

それができないのです。

 

 

 

だから、いつまで経っても自分の外側の世界が恐ろしすぎて、

外に踏み出せないままなのです。

自分自身の置かれている場所自体も分からないし、

周りがどういった世界なのかも、認識することができない。

 

その結果、不安と恐れの感情に支配されることになり、

そこから解放されたいがために自分の殻に閉じこもってしまうのです。

 

 

世界が閉じてしまっています。

世界を閉じてしまっています。

そこに自由はありません。

そして、あなた自身の解放も “ない” のです。

 

 

あなたは、自分自身の立ち位置を把握、認識できていますか?

周りの世界がどのような世界になっているのかを認識できていますか?

見えてないとしたら、

それはあまりにも “無知” の状態で生きていると言えるでしょう。

 

 

この世は矛盾と葛藤でできています。

そのことを認識しましょう。

 

そして、あなた自身の中で起こる葛藤をもとに、

自分自身と外の世界とのすり合わせを行いましょう。

 

それが、あなた自身と対話するということなのですから。

 

 

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