固定概念を外して生きることが、あなたのココロとカラダの解放につながる

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

わたしたちは、思考するときに、何らかの固定概念に

はめ込んでしまったり、縛られてしまっています。

固定概念に縛られる、ということは、

固定概念の『枠』から抜け出すことができない、ということでもあります。

すると、どうなるのでしょうか?

 

それは、あなた自身の狭い、偏った価値観の『枠組み』の中だけでしか、

思考をすることができない、ということになるのです。

つまり、世界が広がらない、決まりきった思考パターンに陥ってしまう、

ということになってしまうのです。

 

固定概念に縛られるということは、思考を硬直化してしまうということでもあります。

思考の硬直化は、あなた自身のココロとカラダの緊張を生み出し、

不自由な”わたし”を生み出してしまうことになるのです。

 

固定概念に縛られずに、思考することは可能なのでしょうか?

 

 

今日のブログでは、固定概念を外して生きていくことの重要さについて、

話を展開していきたいと思います。

 

 

 

固定概念は、どのようにつくられるのか?

 

boy-360449_1280

 

そもそも、どのようにして、

わたしたちの固定概念というものがつくられるのでしょうか?

 

固定概念というものは、わたしたちの過去のあらゆる体験を通じて、

生み出された『過去の記憶情報』という捉え方ができると思います。

人生において様々な体験をする中で、色んな言葉を知ることになります。

 

言葉を知ることで、この物理的な世界を認識し、

立体的に表現することができるのです。

もし、言葉を知らなければ、この物理的な世界に存在している、

あらゆるモノゴトを認識することができないし、

誰かに伝えることができません。

 

言葉を知ることで、

それが何なのか?

どういうことなのか?

どういう関係性なのか?

など・・・・

 

世界との相対的な関係性によって、

自分自身というものを認識することができるようになるのです。

 

”わたし”という存在と、他者、そして、空間やモノゴト。

そういったものを識別して認識できるようになるのです。

それは、”自我”が芽生える、と表現することもできるかと思います。

 

初めは、言葉を知らなくても、視覚的に目の前に存在する”モノゴト”を認識します。

そして、後から『言葉』によって、それらを概念であったり、

”モノ”や”コト”として理解、認識していくのです。

それは、別の言い方をすると、『ラベル付け』する

ということとも言えるでしょう。

 

視覚的にモノゴトを捉え、それを五感で感じ、

言葉によって概念化していく。

 

このように、多くのひとと共有できる概念もあれば、

そうでないものもあるでしょう。

なぜなら、個々の体験や感性の捉え方によって、

概念というものが大きく変わってくるからです。

 

また、『言葉』によっても大きく概念は変わってきます。

物理的世界も、精神世界も、抽象世界も、あらゆる世界を、

わたしたちは『言葉』で認識しているからです。

 

 

つまり、『言葉』の感性が乏しいと、

あらゆる世界を大まかに、ざっくりとしか、認識できません。

世界を、より鮮明に、立体的に浮き彫りにしようと思ったら、

『言語力』が必要になるのです。

 

固定概念に縛られる、ということは

何かを思考するときに、固定概念によって、

思考の方向づけがなされるということです。

 

 

 

安心感を得るために『概念化』しようとする

 

hands-691499_1280

 

どういうことなのか、もう少し噛み砕いて説明しましょう。

 

先ほど、書いたように、わたしたちは過去の様々な体験から、

あらゆるモノゴトに対して、何らかの”概念化”をしています。

 

そして、目の前にある事象、あなた自身への刺激に対して、

自分にとって、危険なものなのか?

それが、何なのか?

それは、どういったものなのか?

などなど・・・

 

目の前の刺激や事象を、理解しようとするのです。

 

理解しようとするということは、

”それ”に対して『意味付け』や『ラベル付け』、『ジャッジ』するということなのです。

そのことによって、”安心感”を得られるからですね。

 

もし、目の前の刺激や事象を、

自分自身の価値観で理解できなかったり、認識できない、

となると『認知不協和』という精神不安に陥ってしまうので、

安心感が得られません。

 

 

そういった側面があるので、わたしたちは、

たとえ”つじつま”が合わなくても、

何らかの『意味付け』や『ラベル付け』、『ジャッジ』を行うのです。

 

 

その材料となるのは、過去の記憶情報です。

過去の記憶情報を呼び起こし、一つのストーリーを作り上げる。

たとえ、”つじつま”があってなくても、自分自身を

納得させるストーリーであれば、何でも構わないのです。

 

安心感を得るための、手段として、

何らかの『意味付け』や『ラベル付け』をしているということが言えるでしょう。

 

 

このように、安心感を得るための、いわば自動プログラム

というものが存在していて、そのプログラムによってコントロールされている、

と言っても良いでしょう。

 

『思考』という話で言えば、

何かの刺激や事象というものに直面したときに、

ある固定概念が持ち出されて、その固定概念にはめ込まれる、

または”縛られる”ことによって、思考の方向性が決定され、

導き出される『答え』や『結末』というものが、決まってくる

というプロセスがあるのです。

 

 

つまり、固定概念が強いひと、固定概念に縛られているひとほど、

思考パターンが決まっているということになります。

思考の過程、プロセスに自由度がない。

 

”大通り”を進むことしかできず、脇道に逸れるという選択肢はないのです。

だから、世界が広がらないのです。

決まりきった、想定内の狭い世界の中だけで生きていくことになるわけです。

 

 

固定概念に縛られているひとほど、その『枠』から外れることを嫌います。

また、無理やりにでも、何らかの『固定概念』に”はめ込もう”としてしまうのです。

 

しかしながら、何でもかんでも、自分自身が持っている

『固定概念』にはめ込むことはできないですよね。

ときには、自分の持っている『固定概念』の枠からはみ出てしまうこともあるのです。

そのような状態になったときが問題でしょう。

 

なぜなら、強烈な精神不安に陥ってしまうからです。

不安や恐れの感情が沸き上がり、その感情を抑圧できない場合に、

怒りの感情となって、攻撃的になることもあるでしょう。

 

 

なぜ、感情が湧き上がったのか?

 

感情が湧き上がることは、何も悪いことではありません。

そもそも感情に”良い”も”悪い”もないのですから。

 

何が問題になるのか、というと

湧き上がった感情に巻き込まれることが問題になるのです。

湧き上がる感情に巻き込まれるということは、

感情に対して距離感を持って関係することができていない、ということです。

目の前の現象面にとらわれてしまい、その奥底にあるものが見えていない。

だから、表面的なもの、現象面だけにとらわれてしまうのです。

 

感情をニュートラルに捉えることができれば、

感情は湧き上がっても、必要以上に巻き込まれることはありません。

それができないのは、距離感が近づきすぎているから、

感情に巻き込まれてしまっているわけです。

 

そして、感情に巻き込まれてしまうから、自動プログラムが働いてしまう。

また、固定概念に縛られてしまい、『枠』から”はみ出る”ことができなくなるのです。

 

このように感情に巻き込まれる、支配されるということは、

あなた自身が持っている固定概念の枠に、きっちりとはまってしまう、

ということになるのです。

 

 

 

固定概念は外せるのか?

 

walk-318770_1280

 

固定概念を外すには、どうしたら良いのでしょうか?

 

ひとつは、目の前の刺激、事象に対して、距離感を保つ、

ということでしょう。

 

距離感が近すぎるから、周りが見えなくなって、

目の前の刺激や事象に巻き込まれてしまうのです。

距離感を保つ、ということは、視点を高くする、俯瞰してみる、

ということですね。

 

 

そのために必要なことは、あなた自身のエネルギーを高める

ということが大事になってきます。

なぜなら、あなた自身がエネルギー切れを起こしてしまっていると、

視点を高くする、俯瞰してみる、ということができないからです。

 

視点を高くする、俯瞰してみる、ということは、

”いま”の視点よりも位置エネルギーを上げないことには、

視点が高くならないですよね?

 

 

なので、あなた自身のエネルギーが低いと、高い視点でモノゴトを

見ることができないので、近視眼的なものの見方になってしまうのです。

日々、エネルギーを高める生き方を実践していくことが大事でしょう。

 

具体的な、エネルギーの高め方については、

書き出すとかなり長くなるので、ここでは割愛します。

 

以下のブログ記事を参考にしてみて下さい icon-hand-o-down 

無料E-book 『あなた自身との一体感を持って生きるための方法』 icon-share-square-o 

あなた自身の”エネルギーの漏れどころ”を知らないと、行動できない”わたし”になる  icon-share-square-o 

期待しないことが、あなた自身のエネルギーを無駄遣いしないために必要なことである  icon-share-square-o 

 

 

 

もうひとつは、新たな視点を増やしてみる、ということです。

固定概念に縛られる、ということは、

ある特定の『枠』に”はめ込まれる”、”はめ込む”ということでしょう。

 

それは、視点が偏ったものになってしまう、ということなんです。

だから、視点が偏らないためにも、

多面的にモノゴトを捉えることが欠かせないのです。

 

 

”わたし”という視点と、第三者からの視点の二つから、

モノゴトを見てみるだけでも、捉え方というものが大きく変わるでしょう。

それは、関係性を意識的にひっくり返してみる、ということですね。

 

できることなら、より多くの視点を持つことができると良いですが、

やみくもに視点を増やしても、それを”つなげて”

統合することができなければ、バラバラになったままです。

 

バラバラのままでは、それが何なのか、

対象が立体的に浮き彫りになるどころか、何が何だか分からなくなる、

という事態に陥ってしまうでしょう。

 

 

なので、視点を増やす、ということで言えば、

自分自身から見た視点と、第三者から見た視点の二つから始めてみて、

徐々に視点の数を増やしていきながら、モノゴトを多面的に、立体的に捉える

という力を無理なく身につけていけば良いでしょう。

 

 

 

枠にはめ込まず、宙吊りの状態にしておくこと

 

water-drop-880441_1280

 

視点を増やす、という観点で言うと、大事なことがあります。

それは、目の前の刺激や事象を、ただ観察する

という状態だけに留めておくということです。

 

何らかの『意味付け』、『ラベル付け』といったように、

ある概念に当てはめてしまうと、”思考の方向付け”をしてしまうことになり、

それは『枠』を超えた自由な発想が展開することができない、

ということになってしまうのです。

 

だから、大事なことは、『枠』にはめ込んで硬直化するのではなく、

”宙吊り”状態のままにしておくこと、

『流動化』の状態で置いておくということが大事なのです。

 

もちろん、『さあ、今からやってみましょう!』って言われても、

それは急にはできないことでしょう。

 

なぜなら、多くのひとが目の前の刺激や事象に対して、

それが何なのかを明確にすることを避けたがるからです。

明確化しない、ということは”モヤモヤ”した状態で居続けるということになります。

 

何度も書いていることですが、

ひとは”モヤモヤ”している状態をとても嫌います。

それは、精神不安な状態に陥ってしまうからでしたよね。

ココロが不安な状態を嫌うのです。

 

 

だから、何かしら自分自身が納得するように

『意味付け』や『ラベル付け』を行うことで、

自分自身を納得させることで安心感を得ている、ということなんです。

 

でもね、そのような方法で安心感を得ても、それはあくまで

”一時的な安心感”を手に入れているだけにすぎないのです。

 

 

この物理的世界、精神世界など、色んな世界というものがありますが、

そういった世界を認識するには『言葉』が必要です。

しかしながら、『言葉』を知ることで、

そういった世界のことを”より深く知る”ことができるのか、

というとそうではないのです。

 

実は、その逆で、『言葉』を知れば知るほど、

分からないことが増えてくるのです。

 

こういうことが分かってくると、精神不安な状態に陥ってしまう、

と多くのひとは思うでしょう。

 

 

確かに、そういった側面があるのは間違いないのですが、

そういった本質的な事実に気づくと、ひとはどうするのかというと

『言葉』を知ることで、そのモノゴトを理解した気になって、

その枠内で思考の硬直化、概念化したままで満足して終わるのか

その『枠』を超えて、色んな概念、世界をつなげて、

真理を追究していくのか、というひとに分かれるでしょう。

 

 

少し話が脱線してしまったので、元に戻すと

目の前の刺激や事象に対して、それらを事実を事実としてだけ抽出はするけど、

そこに何か色付けはしないで、流動化の状態にしておく、

ということが大事になってくるのです。

 

つまり、ひとつの情報として、泳がしておくということなのです。

そんなことをしてたら、何も段階的に、体系的に

論理的な思考ができないのではないかと思うかもしれません。

 

確かに、論理的思考を行おうと思えば、まずは方向性を決めるために、

何らかの概念に当てはめなければ、次に進めることができません。

逆に言えば、ひとは論理的に思考しようと思えば、

思考の方向付けのために、何らかの固定概念を持ち出してくる、

ということでもあります。

 

 

論理的思考を行うには、固定概念というものは、

方向付けるためには、大いに役に立つでしょう。

しかしながら、方向付けしてしまうがために、

思考の硬直化が起こり、道筋が決まってしまうがために、

『枠』を超えた思考が行えない、というデメリットがあるわけです。

 

『概念化』してしまうことで、構造を決定付けてしまうということになるのです。

概念化しなければ、それは状況において、

様々な形に組み立てることができますし、分解することもできる。

 

 

そうやって、構造を自由に分解、再構築できるという

『錬金術』をなす術を持っている、ということが大事だと思うのです。

そうじゃないと、言葉に縛られて、どんどん世界が狭まっていくことになるからです。

 

言葉を知れば知るほど、世界が分断され、細かく分類されることになる。

だから、世界が広がらないのです。

 

 

構造を自由に、分解、再構築できるということは、

常に流動的であるということですよね。

なので、言葉に必要以上に縛られない、ということになるのです。

 

なぜなら、流動的ということは、常に動き続けているということでもあります。

流動的なモノゴトは、その瞬間瞬間を切り取ったものを

説明、表現することはできても、”常”という不変の状態

というものがないので、説明や表現をすることができません。

 

だから、状況によって、状態はどんどん変化していきますし、

何かに縛られることはないのです。

それは、つまり『言葉』に縛られない、ということでもあるのです。

 

このような思考を、水平思考と言います。

論理的思考の”対”となるものが、水平思考です。

水平思考というのは、思考の硬直化を起こさずに、

流動化したままにしておく、ということです。

 

 

水平思考の”すゝめ”

 

runner-79590_1280

 

流動化していく、というのは、一体どういうことでしょうか?

 

それは、目の前の刺激や事象に対して、何らかの概念にはめ込まない、

ということです。

ひとつの情報として、自由に泳がしておくということである、

ということを書きました。

 

ただ、ここで大事になってくるのは、自分の手の届くところで

泳がしておくということですね。

その情報が必要なときに、手の届かないところにあると、

使えないことになるからです。

 

水平思考というのは、何かの固定概念にはめ込むことなく、

流動化の状態にしておくことで、あるときに、

バラバラに点在していたものが、一気に何らかのキッカケによって、

情報が統合されるということなのです。

そのキッカケが何なのかは、分かりません。

 

ただ、顕在意識で何とか、つなげようと考え続ける、

といったようなイメージではなく、潜在意識や無意識の世界で、

何らかの化学反応が起こり、情報が統合されるといった感覚です。

 

脳には確実性という特性があるので、それが自動的に働くことによって、

インプットした”情報”に相互作用が働いて、情報同士が、

つながりを持つようになる、ということになるのです。

 

このように、情報には特別色付けをしないままで泳がしておけば、

何かのきっかけで、急につながり出すということが起こるようになるのです。

その体験を何度もしていくことで、目の前の刺激や事象に対して、

何らかの『意味付け』や『ラベル付け』をしようとは思わなくなってくるのです。

 

 

そんなことをしなくても、安心感の欠如は起こらない。

放っておきても、いつか”つながる”ときがくる、

という自分自身への信頼があるから、委ねられるのです。

そうやって生きることができると、日常生活の中で、

あらゆることがシンクロニシティが起きてくるのです。

 

それは言い方を換えると、これまでは日常生活の中で、

本当は様々なシンクロニシティが起こっている、ということなのに、

それに気づくことができなかったということであって、

それを見えなくしていたものがなくなったことで、

見えるようになったということなのです。

 

 

だから、生きているだけで丸儲け状態になります。

常に様々な現象、事象を見て、それが何かにつながっている。

 

そのときは、それが何なのかは分からなくても、

いつか必ず何かにつながる、という確信があるから不安にならないんですね。

自分自身への信頼、相手への信頼、空間への信頼。

そして、過去、現在、未来への信頼が生まれることになるからです。

 

 

現代社会は、超情報化社会です。

何もしなくても、勝手にあらゆる情報が入ってくるし、

受け取ってしまう時代です。

 

だから、情報過多な状態になっているからこそ、

情報を処理するために脳が過負荷状態になっていて、

ダウン寸前になっているのです。

 

 

それは、エネルギー的な視点から言うと、

頭に、脳にエネルギーが集中してしまっている状態とも言えるわけです。

カラダへの意識が希薄となってしまっていて、

頭ばかりにエネルギーが集中してしまっている状態なのです。

こういう背景があって、カラダの感性が鈍くなり、

『不感症』のひとを増産しているのです。

 

カラダの感性が希薄になる、ということは、

”いま、ここ”に生きている実感、リアリティを持てなくなるのです。

だから、地に足を着けて生きることができないから、

精神不安な状態に陥ってしまっているのです。

 

フワフワした状態で生きているから、簡単に情報にん流されますし、

影響を受けてしまうのです。

当然ながら、『軸』というものも存在しません。

自分不在で生きていくことになるのです。

 

 

ひとは、『正しさ』を求めます。

個々で、何か正しくて、何が間違っている、

というものが異なっています。

 

ここでいう『正しさ』というのは、

そのひと自身の価値観に基づいた『正しさ』です。

思考をするときには、自分自身の中の『正しさ』に基づいた情報、概念を持ち出し、

そういった『正しさ』を論理的につないでいくことで、整合性を持たせようとします。

 

 

しかしながら、それは、そのひと自身の中だけで適応される『正しさ』なのです。

だから、他者には、そのひと自身の『正しさ』というルールは、適応されないのです。

 

自分自身の中の『正しさ』というルールに

縛られた言葉、概念を選択し、自らを不自由な『枠』にはめ込んでいく。

それが、ココロとカラダをデザインし、思考の縛り、不自由さが、

ココロとカラダの縛り、不自由さにつながっているのです。

 

 

あなたは、思考のプロセスを変えることができるのです。

そのことによって、固定概念を外した自由な思考を手にすることも可能です。

 

あなた自身がどうしたいのか、が大事でしょう。

 

一時的な安心感を得るために、固定概念にはめ込んだ、

不自由な、予定調和な思考プロセスを採用し続けるのか?

それとも、固定概念を外した自由で、ダイナミックな

創造性を持つ、水平思考をするのか?

 

 

思考のプロセスによって、あなた自身のココロとカラダがデザインされ、

世界の見え方、捉え方も大きく変わってくるのです。

 

 - ブログ , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,