人間は本能的につながりたい生き物である

      2017/09/22

『人間とは、本能的につながりたい生き物なのです』

 

Facebookの創始者、マーク・ザッカーバーグの言葉です。

 

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

インターネットが普及したことで、自ら、

わざわざ遠くの場所に住んでいるひとに会いに行かなくても、

こうしたネット上で多くのひとと”つながれる”時代になりました。

 

SNSが流行っているのも、気軽にひととのつながりをもてるから、

という側面は大きいでしょう。

わたしたちは、そういった恩恵を受けることができる

便利な時代に生きているのですが、気軽にひととつながることができても、

本質的に”深く”つながることはできていません。

 

言ってみれば、ごくごく表面的なつながりばかりであって、

多くの場合、生産性のない時間つぶしのようなものになってしまっています。

 

”つながる”とは、一体どういうことなんでしょうか?

その意味や、本質を理解せずに、ひととつながろうと思っても、

深いつながりは生まれることはありません。

 

”つながる”ということについて、様々な観点からみていくことで

『つながる』ことの本質を浮き彫りにしていきたいと思います。

 

 

表面的な”つながり”

 

 

つながる、といっても、浅いものから、深いものまで、

色んな深さでのつながりというか、”質”があると思います。

 

多くのひとは、潜在的には深くつながりたいと思っているのに、

顕在的には、表面的なつながりを求めてしまっているのです。

だから、いざ”つながれた”と思っても、

自分自身の深いところから満たされることはないから、

本質的に満たされるという充実感が得られないのです。

 

では、なぜ表面的な”つながり”でしか、ひととつながれないのでしょうか?

それは、色んな側面があると思うんですが、

一つは、承認欲求で生きているからでしょう。

 

承認欲求とは、『自分が認められたい』

という欲求のことでしたよね。

この承認欲求は、わたしたちが普遍的に持っている欲求なのですが、

この欲求が強いということが大きいと思います。

 

 

じゃあ、なぜひとに認められたいのでしょうか?

・自分の存在を認めて欲しい

・自分に自信を持ちたい

・褒められたい

 

などなど、色んなことが考えられますが、

そういったものは表面的なものであって、

本質的には安心感の欠如という問題を抱えてしまっているから

じゃないでしょうか。

 

逆説的に考えてみてください。

もし、自分の中に安心感の中でも、”大”が付くくらいの

安心感があったとします。

そしたら、自分の外側に何かを求めようという欲が生まれるでしょうか?

生まれないですよね。

 

すでに、あらゆるモノゴトが十分に満たされているのですから

そもそも何も自分の外側に求める必要なんてないんですよね。

 

安心感が欠如しているから、その足りない安心感を埋めるために、

自分の外側に安心感を求めてしまうのではないでしょうか?

 

でもね、いくら外側に求めても

ひとから褒められようが、認められようが、

結局は自分自身が、自分のことを認めてあげることができてないと、

深いところから満たされることはないのです。

 

表面的に満たされたとしても、それは一時的であって、すぐに新たな承認欲求が生まれます。

むしろ、褒められれば褒められるほど、虚しくなるし、気持ち悪くなります。

 

そうやって、同じことを繰り返して生きているだけに過ぎません。

だから、根本的な問題解決にはならない、

ということがわかるのではないでしょうか。

 

 

不安と怖れの感情を肥大化している

 

多くのひとは、不安と恐れの感情に支配されながら生きています。

必要以上に不安や恐れの感情を肥大化させ、その感情に

支配されながら生きているのです。

 

不安や恐れがあると、どうするのかというと

自分の内側に閉じこもって、動かないようにするか、

安心感が得られるところへ逃避するという選択をします。

 

そうやって、ひとや集団、組織に依存、帰属することで、

安心感を得ているのです。

 

依存する、ということは、自分という存在を抑圧する

ということではあるのですが、ありのままの自分で生きることよりも、

依存して安心感を得ることを選択するのです。

 

つながりたい、という人間の本能的な欲求は、

安心感の欠如が引き起こす欲求であるとも言えます。

自分自身と分離しているひとほど、不安や恐れの感情を

肥大化させてしまいます。

 

そして、分離すればするほど、エネルギーを漏らしているのです。

 

 

 

他者とつながるには、まずは自分自身とつながることから

 

 

自分自身とつながることができていないと、

他者ともつながることができない。

 

わたしたちが、自分の外側にみている世界は、

自分の内面を写し出したものにすぎません。

いくら、深いつながりを求めていても、

自分自身とつながれないのであれば、あらゆるものと

つながることはできないのです。

 

つまり、自分という存在から

あらゆるものが分離してしまっている。

 

そうなると、不安や恐れの感情が湧き上がってくるのですが、

本質的にはつながることができないので、

表面的なつながりを求めて、依存に走ってしまうのです。

依存してしまえば、一応カタチ的にはつながっているかのように感じます。

ただ、不安や恐れの感情は、完全に消し去ることはできません。

 

なぜなら、表面的には安心感を得たかのように思っていても、

本質的な部分で満たされていないから、安心感が生まれないのです。

わかりやすい言葉でいうと、”自分の居場所がない”という感覚が、

もっともイメージとしては適切かもしれませんね。

 

 

よく言うじゃないですか?自分の居場所がない、って。

これは、完全に自分自身とつながることができていないひとが言う言葉です。

 

自分自身とつながれていないひとは、

いくら自分の外側に自分の居場所も探し求めても、

永遠に居場所を見つけることはできません。

 

居場所は見つけるものではなく、自分の中に作り出すものなのです。

これは、いくら言葉で言っても、

体感としての理解がないことにはわからないことでしょう。

 

 

 

つながる、ってどういうこと?

 

 

それは、自分自身との一体感をもって生きることである

と言えます。

 

まずは、その前提があって、それがあるからこそ

他者ともつながれるし、空間ともつながれるし、

地球や宇宙といったより大きなものともつながれて、

一体感をもって生きることができるのです。

 

そういった状態を取り戻すことはできるのか、

というと可能です。

 

多くのひとが、あらゆることを自分自身から分離しながら生きています。

その分離しているものを、まずは自分自身で知ることです。

知ることで、じゃあ統合するためにはどうしたら良いのか、

ということを考えることができるようになります。

 

自分自身との一体感を、どこまで深いものにできるのか。

そういった視点をもって生きていれば、自然と

自分自身だけではなく、あらゆるものとの一体感を

感じながら生きていくことができるようになります。

 

そういった生き方ができるようになると、自分の外側に

安心感を求める必要もなくなるし、

誰かに依存する必要もなくなります。

 

承認欲求も起こらなくなるし、自分と他者、自分と空間、

あらゆるものが一体であるという、

共同体感覚をもって生きていくことができるのです。

 

 

その状態をイメージすることができますか?

 

そのような生き方を取り戻したくないですか?

 

現実的に、それは可能です。

あなた自身が、そういった生き方を取り戻したい

と思ったときから、始めることができるのです。

常に選択肢は、あなた自身にあります。

 

あとは、あなた自身が初めの一歩を踏み出すのか、踏み出さないか、

ただそれだけなのですから。

 

 

まとめ

 

・本質的なつながりとは、自分自身とつながり、一体感をもって生きている、

という前提がないと得られないものである。

 

・自分自身とつながれていないひとは、他者ともつながれないし、

あらゆるモノゴトとの一体感をもって生きることができない、

分離した状態で生きている。

 

・分離しながら生きていると、エネルギーがだだ漏れ状態となってしまうから、

慢性的なエネルギー切れ状態に陥ってしまう。

 

・自分自身とつながれないひとは、承認欲求が強く、

他者への依存、集団や組織への帰属意識が強い状態で生きている。

 

・安心感の欠如は、不安や恐れの感情を肥大化させる原因となり、

それが自分の外側に安心感を求める生き方をさせてしまっている。

 

・安心感で満たされると、承認欲求がなくなり、

不安や恐れの感情を必要以上に肥大化させることがなくなる。

そして、自分の外側に安心感を求めることがなくなる。

 

 

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