『自由になりたい!』とは良く言うけど、一体『自由』って何?

      2017/09/22

こんにちは、ココロとカラダの錬金術師、魚住です。

 

『自由になりたい!』とはよく言ったものですが、

じゃあ一体”自由”とはどういった状態のことを言うのでしょうか?

多くのひとが、”自由”を求める一方で

真逆の、不自由を選択することで安心感を得ている側面があります。

そういった矛盾の世界で生きているのです。

自由と不自由のバランス。

あなた自身は、どちらに偏った世界からみていますか?

 

 

自由になりたい!


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いま置かれている環境を受け入れて、その環境が、わたし自身の居場所である、

ということを感じているひとは少ないでしょう。

 

多くのひとが

”いま”の環境に、不満を持ち

自分自身が不自由だと感じている。

それが現実じゃないでしょうか。 

 

 

自由って何だろう?

 

 

ある側面からいうと

色んな選択肢が無数に存在していて

何にも縛られることがない状態が自由である、

というのが多くのひとがイメージしやすいことじゃないでしょうか。

 または、共通認識として分かりやすい概念かと思います。

 

それは、”いま”という、あなた自身の置かれている環境が、

あなた自身の思い込みで、様々な制限がかかっていて選択肢が限られているから、

相対的にみて、不自由だと感じてしまっているのではないかと思います。

 

 

  

選択肢が無数にあると

 

”いま”感じている

あらゆる制限が、なくなったら問題は解決するのだろうか?

 

そうなってしまうと、ひとは、どうなるかというと

 

選択肢が多すぎるとひとは、選択できない

という状態に陥ってしまうんです。

 

選択肢の中に、よっぽど自分自身にメリットがあって

他の選択肢と比較しても、かなりの魅力がある場合は別として

選択肢が無数にあると、逆に、不安に陥ってしまう。

 

選択できないから、行動できない。

 

そして、モヤモヤする。

 

それが、逆に大きなストレスになるのです。

 

 

なんて、矛盾している生き物なんでしょうか?

 

あれば、いらない

なければ、欲しい

自分がどちらか一方の世界に偏って

その逆の世界に魅力を感じ、求めながら生きている。

 

そうやって、自ら

悩みや苦しみを生み出している生き物なんです。

 

 

無数に選択肢があって

選択することができない苦しみを感じて生きるよりも

選択肢が限られていて

いくつかから選択することができる、という状態の方が

自由かどうかは、別として、多くのひとは安心感を得られるのわけです。

 

何かを選択するときに、ひとは、それぞれの魅力を比較しながら

どれが自分にとって”得”が得られるのか、

という基準で、行動の選択、判断をしています。

 

 

もし、いくつかの選択肢の中で、それぞれを比較してみて

コントラストの違いをあまり感じられないのであれば

ひとは、また選択することができなくなってしまうのです。

 

コントラストの違いを明確にするには、

偏ったフィルターでみると明確にはなる。

しかしながら、それは偏ったものだから良いものではありません。

 

かと言って

あらゆる角度から、多面的にモノゴトをみるフィルターを

持っているのが良いかというと

それもそれで、コントラストの違いが明確にならないから

結局は、選択することができなくなってしまう。

 

 

 

あたまで生きるな!

 

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わたしたちは、過去との比較や他者との比較

このように、何かとの比較の世界で生きている。

 

つまり、相対的な世界に生きているのです。

 

 

そして、モノゴトの価値判断基準を

そのひと自身の主観的な価値感による”損得勘定”で決めてしまっている。

 

だから、世界が偏ってしまい、広がらないんですね。

 

衝動のままに突き動かされる、という

いわば、本能的、動物的な側面を抑えてしまっているのです。

 

つまり、あたまばかりを働かせて、カラダを動かさない。

カラダを動かさないから、カラダの感性が死んでいく。

そして、不感症になってしまう。

 

ココロとカラダは、つながっています。

 

わたしたちの内側で、湧き上がった衝動を発散したい、

という欲求があるのにそれを、あたまで押さえ込んでしまっている。

 

つまり、自由を妨げているわけです。

 

 

理性や記憶、そういったものが、わたしたちの中にある

本能的、動物的な側面を封じ込めている。

 

 

しかしながら、本能的、動物的な側面を

解放したら、それで自由を得られるのか?

というと、そうではありません。

 

 

ひとは、社会的な生き物である。

 

だから、自分ひとりで生きているなら

本能的、動物的な側面を存分に出しながら生きることは

自由に近づくでしょう。

 

しかしながら、ひと関係しながら

生きている社会的な生き物だから

そこに、論理的、意識的、人間的側面を介入することが

大事になってくるのです。

 

そして、両面のバランスを上手く発揮しながら生きていくことが

ある意味、自由だということになると思う。

 

 

あなたにとっての自由とは、何でしょうか?

 

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