プロフィール

あなたの “光” が、世の中を明るく輝かせる力になる

 

はじめまして、魚住です。

ご縁をいただきまして、ありがとうございます。

このお手紙では、なぜ私が、理学療法士でありながら、理学療法士という職業の枠を超えて、一人一人の人生物語を目覚めさせる活動を行っているのか、という物語を書かせていただきます。

もし、自分探しをしている

あるいは人生の意味が分からない、生きる目的が分からない、自分自身を受け入れられずに日々葛藤している、という場合は参考になる部分があるかと思いますので、ぜひ読んで頂けますと嬉しいです。


私は、子どもの頃から、自覚的にも変わった子でした。

物心ついた時から、漠然とではありますが、
自分と他者は “何か” が違う、ということを感じていました。

生きながらに私自身が感じていたのは、
生きていることへの違和感と、自分自身の存在価値が見出せないことに対しての生き苦しさです。

 


なぜ、自分は生きているのだろう?

何のために生まれてきたのだろう?


生きていることが不自然で、存在していることに違和感を感じながら
孤独感と、絶望感に苛まれ、常にイライラと不安を抱えながら生きてきました。

その状態を例えるなら

自分自身が望んでもいないのに、神様の采配により「はい、あなたは今からこの世界で生きなさい!」と、
理不尽にもこれまでの日常世界から、すべてが異なる異世界に放り込まれてしまった状態。

のんびりと自然豊かな田舎暮らしをしていたのに、急に大都会で暮らさなければいけなくなったかのような状態。

そういったイメージでしょうか。

具体的な事例としての出来事や経験があったから、生きていることに違和感を感じたとか

存在していることに違和感を感じていたとか、そういったことではなく

自分自身が望んでもいないのに勝手にこの世界に降ろされて、そこで生きる目的も存在価値も見出すことができず
自分自身を含めた全てのことを受け入れることができない状態で生きてきた
と言えます。

そんな状態で生きてきたので、どこにも自分の居場所を見出すことができず、本当の意味で、心安らげる場所もなければ、時間もありませんでした。

自分自身さえも信じることができず

周りは全て敵に見えて、自分に対して何かしらの危害を加えられるのではないか、という不安と恐怖を常に感じながら

常に周囲を警戒して、目立たないように自分自身を抑圧しながら、人との関わりを避けるように、身を縮めて生きてきたと言えます。


その持って行き場のない感情の矛先は、
自分自身を責めたり、傷つけたりという自虐か
他者に対して攻撃的になったり、排他的になったり、という他虐の道を選択しながら生きてきました。


生きることの辛さや苦しみから解放されたい、という強い想いや

自分の存在意義や、存在価値を見出すために
どうしたら、その辛さや苦しみから解放されるのかを探求し続けるとともに自分探しの人生だったと言えます。

 

夢や希望を持てない人生

普通は、子どもの頃、
将来〇〇になりたい、とか
〇〇をやりたい、とか

何かに憧れたり、未来に対して明るい希望や夢を抱きながら生きているのに

私自身はそういったものは一切なく

ただ、自分自身を受け入れることができず、人生に対しての絶望感に苛まれながら生きていたと言えます。

 

やりたいことはなく

なりたいものもなく

熱くなれるものもなく

憧れるものもない。

 

一体何のために生きているのだろう?

自分は何者なんだろう?

という想いばかりが強くなって、どんどん膨れ上がっていきました。

そういった想いが膨れ上がっていくと同時に
自分との関係性は冷めた関係性になっていきます。

 

自分という存在を理解することができない。

自分自身を受け入れることができない。

 

自分以外の何者かになりたいとか

生まれ変わりたいとか

自分という存在を変えたい、という想いを抱くのではなく

今すぐに消えたい。

ここからいなくなってしまいたい、という想いの方が強かったのです。

 

自分という存在を拒絶し、自分を許せない。

 

特に、これといった具体的な理由や、明確な理由があるわけでもなく

ただ、自分という存在を理解できないことや受け入れることができないことが生きることに対しての苦しみになっていたのです。

 

自分探しの旅

生きていることへの違和感や、周りの他者との感覚の違いは、学校という集団生活の中に身を置かれたことで、さらに増していくことになります。

物心ついた時から、私は誰かから何か言われることに苦痛を感じていました。

周りの人から何かを言われても、それを受け入れることができない。

 

自分自身に対して排他的な関係性だったのですが、そういった自分との関係性が、他者との関係性においても同じように排他的な関係性になっていたのです。

自分との関係性は一向に良くならない。

むしろ、どんどん関係性が悪くなっていく。

 

学校という集団生活は、私にとっては苦痛でしかありませんでした。

自らの意志に反して、誰かから言われたことをやらなければいけない。

 

なぜ、そんなことをやらなければいけないのか。

なぜ、周りと合わせなければいけないのか。

なぜ、はみ出してはいけないのか。

理不尽さばかりを感じながら生きていました。

 

まるでロボットかのように、言われたことをやる。

はみ出すことは許されず、周りと同じ状態を目指す同調圧力。

 

自分は他者とは違う

自分は自分

 

自分という存在を理解できず、受け入れることができない反面、
自分と他者は全く違う、人と同じは嫌、という想いが強くなり、自分という存在を強く意識するようになっていきました。

周りと同じ人間にはなりたくない。

人と同じことをやりたくない。

 

どんどん、自分という存在への意識が高まっていく反面、理解できない、受け入れられない自分に苦しみが増していきます。

この苦しみから逃れるためにはどうしたら良いのか?

自分の居場所はどこにもなく

心落ち着ける時間もなく、孤独感に苛まれて生きている。

 

自分ってなんだろう?

人生ってなんだろう?

生きるってなんだろう?

 

誰にも、その答えを教えてもらえるわけでもなく

どこかに、自分の求めている答えがあるわけでもなく

 

自分という存在を放棄して、この世から消えてしまいたい

生きることを放棄したい

人生を放棄したい

そういった想いしかなく、でもそれを現実的にできるわけでもなく、絶望感と、諦めの中で生きていました。


自分という存在を、強烈に意識するようになってきたことで、私自身の生きる原動力は自分とは何か、を探究することになったのです。

 

カラダを通して、世界を知る

物心ついた時から、極度の人見知りでした。

人と関わることを避け、周りを観察しながら生きてきた人生とも言えます。

他者を敵対視していましたし、信頼できる人もおらず、人と関わることが怖かったし、面倒くさいと感じていたのです。

人と関わらず、一人でいることを好んで生きてきたのです。

 

私自身のこれまでの人生を振り返ってみると、様々なスポーツ経験してきた人生だったと言えます。

小さい時から、親の勧めがキッカケで、様々なスポーツをやり始めました。

 

最初はスイミングに通い(選手コース手前で辞める)、小学校では少年野球、中学校では陸上部に入り、高校ではバスケ部に入りました。

高校の途中からは家族旅行で行ったカナダで、スノーボードにはまり、プロを目指そうと理学療法士の資格を取得してからも夏は働き、冬は雪山にこもる、という生活を何年も続けていました。

しかしながら、プロへの道は結局は挫折し、夢は叶うことなく諦めました。

 

スポーツをやっている最中は、カラダを動かします。

カラダを動かしている最中は、何か嫌なことを考えたり、ネガティブなことを考えたり、ということがなく

カラダに意識が向いていて、唯一自分が何かに囚われずに生きていることを感じられたのです。

自分という存在を感じ、自分を生きている、という感覚を実感することができたのです。

 

そういった経験から、私自身の興味関心は自分自身のカラダを通して、自分自身の可能性を開くという方向性に向かいます。

 

どうすれば、カラダが解放されて、より自由を感じられるのか?

どうすれば、効率的なカラダ遣いができるのか?

どうすれば、心地良さを感じられるのか?

 

その答えを知りたくて、武術や武道に、自分の求めている答えがあるのではないかと思い、自分のカラダで探究を始めたのです。

 

人とは極力関わりたくないという想いから、人と関わることは避け、自分自身のカラダと対話しながら、自分のカラダを解放し、自由を得るために多くの時間と労力を費やしてきたのです。

自分自身のカラダと向き合うことで、あらゆる悩みや苦しみから逃れていたとも言えるでしょう。

 

自分の力で、他者を変えることもできない

自分の力で、社会を変えることもできない

自分の力で、自分以外の世の中を変えることができない

 

変えられるものといえば、自分自身のカラダだけだったのです。

カラダと向き合っていく中で、様々な気づきがあり、その気づきからどのようにすればカラダが自由になるのか?

そうやって、自分自身のカラダに細かく意識を向け続けていると、何かしらの気づきや答えが見つかります。

そして、試行錯誤していく中で、自分自身のカラダに変化を感じられるのです。

うまくいかない時もあるけど、道が開ける時もある。

 

自分自身のカラダに良い変化を感じられたときに、大きな喜びを感じたのです。

なぜなら、変化を起こすことができた、という実感が伴うからです。

自分自身が向き合った時間、労力が、何かしらの変化や結果として現れる。

そのことを感じて、ますます自分自身と向き合うことに没頭していきました。

 

自分自身が生きるモチベーションや、生きる希望を見出すことができたのが、自分自身のカラダの探究だったのです。

 

 “深堀り” すること

自分自身のカラダの探究をすると同時に、理学療法士の資格を取得してから、人のカラダに触れる、という機会を頂くことになりました。

もともと自分がなりたくて理学療法士になった訳でもなく、それを自分の職業として長くやっていこうと思っていた訳でもなく

高校を卒業する前の進路を考える時期になった時に、親からの勧めで理学療法士を目指すことになったのです。

自分自身の明確な意志で目指したのではなく、何にも目指すものがなかったから、とりあえず親の勧めのままに目指すことにしたのです。

 

ただ、自分がなりたい訳でもなく、これを自分の職業としたい訳でもない、という想いは変わらなかったのですが、

だからといって、仕事で関わる方に対して手を抜くとか、適当にルーティンワークのように仕事をする、ということはなかったのです。

やるからには全力で、何とか良くしたい。

そういったプロ意識は、なぜか強かったのです。

 

仕事に対してのプロ意識の高さから、様々な技術や手技を学びました。

かなり様々なことを勉強し、実践し、自分自身のカラダを通して良かったものを仕事でも取り入れて、活かしてきました。

そのことにより、関わらせて頂いた方からの満足度も高かったですし、多くの方にファンになって頂いた、ということもあります。

ただ、人から認められたい、という想いが源泉になっていたのではなく、とことん自分自身が興味関心があることを深めたい、という想いが強かったのだと思います。

 

幼少期の遊びは、後々自分自身の生き方で会ったり、行動の源泉となるのですが

私の場合、幼少期によくやっていた遊びというのが、“地面を掘る”ということをやっていたそうです。


自分では覚えていなかったので、母親に聞いてみたところ、私がよくやっていたことは、地面を掘るということだったと。

それを聞いて、思い出したのですが、家の庭や、山の中や、住宅開発地で、穴を掘るということをやっていたのです。

 

特に理由はなく、ただ、深く掘っていった先に何があるのだろう、という好奇心

その好奇心が穴掘りをする行動の源泉となっていたのだと思います。


大きくなって、さすがに穴掘りはしなくなりましたが、深堀りする、という行動は

自分自身が興味関心があることに対して、深く探究する、ということに向いたのです。

 

私の場合は、物事を深く探究すること

それが、生きるモチベーションや、行動の源泉となっていたのです。

 

カラダという枠を超えて

私自身のカラダへの探究は、理学療法士として関わらせて頂く方を良くしたい、という想いがあったから、様々な技術や手技を学んだという背景があります。

それと同時に、私自身のカラダを緩めることで心身ともに快適な、心地よい状態を体験することができたからです。

 

自分自身がずっと抱えていた生きることへの苦しみ。

その苦しみは、カラダを緩めることによって、心身ともにほぐれて、何かにとらわれることなくありのままの穏やかな自分を感じることができたのです。

ただ、それは永遠に続くものではなく、あくまで一時的な変化であり、効果でした。

 

そういった背景により、私の探究はカラダという枠だけにとどまらず、ヒーリングやエネルギーワークといったスピリチュアルや精神世界にも広がったのです。

カラダだけの世界の探究に限界を感じたからです。

カラダが変われば、心も変わる。

 

そのことを感じていたからこそ、カラダという枠組みを超えて、世界を広げようと思ったのです。

ヒーリングや、エネルギーワークをやることによって、カラダという枠だけでは捉えきれなかったより大きな視点で、人間という存在を捉えられるようになりました。

カラダという枠を超えて垣根を取っ払ったことで、ヒーリングや、エネルギーワークという、異世界を融合させた捉え方ができるようになったのです。

 

ただ世界を広げても、それが自分自身の生きることへの苦しみや違和感を完全にゼロにするということは叶わなかったのです。

確かに、カラダという枠だけでカラダを緩めることによる心身の解放感を超えたものを感じることはできました。

 

しかしながら、本質的な部分での自分という存在に対する違和感、生きることへの苦しみは解消することができなかったのです。

 

人生を変えたコミュニティ

心とカラダの探究をし続ける中で、随分と生きやすくなったと言えます。

しかしながら、本質的な部分では変化を感じられず、そのことに対して、半分諦めの境地を感じていました。

 

でも、どこか心の片隅には

必ずどこかに、自分が求めているものがある、という確信のようなものはあったのです。

そんな中、私自身の人生を大きく変えたコミュニティと出逢うのです。

 

そのコミュニティとは、NextDimensionというエネルギーという視点から、仕事、働き方、生き方の次元を一気に上げるビジネスコミュニティです。

これまで、心とカラダの両面から様々なアプローチをしてきたのにも関わらず、表面的、一時的な変化を得ることができても本質的な部分からの変化を得ることができなかったのに

NextDimensionでの学びを通して、自分自身の本質的な部分からの変化を感じることができたのです。

 

NextDimensionでは、様々な角度から人間分析の方法を学びました。

この方生まれてから、学校教育や、誰からも『自分自身の取扱説明書』というものを教わることはありませんでした。

NextDimensionで学ぶ人間分析の方法を知ることによって、これまで物心ついた時から感じていた生きることの違和感が一気に解消されたのです。

 

これまでの人生で、違和感を感じ、自分自身を理解できず、受け入れることができなかった原因となっていた

なぜ自分はそのような行動をするのか

なぜ、そのような言動をしてしまうのか

という、自分自身のことながら理解できないことが一気に腑に落ちたのです。

 

自分自身の理解できない行動や言動というのは

自分自身が意図していないのに、まるでもう一人の自分がいて、そのもう一人の自分が、勝手に自分自身を行動させ、発言をしてしまうというものです。

それを観察している傍観者の自分もいるのですが、やめておこうと思えば、それを止めることはできるのに、もう一人の自分が、勝手に暴走して色んなことをやらかしてしまう。

理性の自分は、客観視しているだけで、暴走するもう一人の自分を止めることができない。

 

そんな無力な自分自身に

やってはいけないこと、言ってはいけないことをやってしまう自分に嫌気が指し、『なんなんだ、こいつは!』と、どんどん自分自身が嫌いになっていきました。


自分の中に、複数の自分がいて、自分が意図しないことをやってしまったり、発言してしまったりする。


制御不可能な自分という存在が複数存在していて、アンコントロールな状態で生かされているといった感じです。

 

自分自身が理解できないことをやってしまう度に自分自身が嫌になり、自分を責めては、距離感を取ってしまう。

自分自身を理解できないから、受け入れられないし、どんどん自分自身との関係性を自ら悪化させてしまっていました。

 

自分自身との関係性が冷え切った関係性となり、信頼関係もなくなっていた状態から

NextDimensionでの学びを経て、一気に自分自身の理解が進んだのです。

 

自分という存在を様々な角度から理解し

なぜ、そのような行動を取ってしまうのか

なぜ、そのような言動をしてしまうのか、ということが腑に落ちたのです。

 

自分自身を理解できた瞬間、これまで排他的で、拒絶していた自分自身を受け入れることができたのです。

自分自身を受け入れられた瞬間、これまで抱えていた生きていることの違和感は消え、イライラや不安も大きく解消されたのです。

 

自分以外の何者かになろうとする必要はなく

自分探しをすることも必要ではなくなり

自分自身を受け入れられた結果、自分自身の人生に対する信頼が生まれたのです。

 

人生物語への目覚め

もう一つ、私がNextDimensionでの学びによって、自分自身の人生を大きく変えたキッカケとなったことがあります。

それは、自分自身の人生物語に気づき、目覚めたことです。

 

これまでの人生における様々な出来事。

自分自身のココロとカラダに記憶として刻まれている過去のネガティブな出来事であったり、マイナスな出来事。

そういった過去のあらゆる出来事一つ一つが点だとすると、その点となっている出来事単体で見れば

それは、ネガティブな出来事であったり、マイナスな出来事としてしか捉えることしかできません。

 

しかしながら、人生という一つの大きな流れ、視点で捉えてみると、そのネガティブで、マイナスな出来事一つ一つは、プラスの出来事に再定義が可能なのです。

なぜなら、一つ一つで部分的に捉えるとネガティブでマイナスな出来事も、人生という大きな一つの流れで捉えると

その出来事、経験があったからこそ、得られているものがあり出会いがあり、今の立ち位置につながっていると捉えることができるからです。

 

その時の辛く、受け入れがたい出来事があったからこそ、乗り越えて来たからこそ得られたものがあり、成長できたことがあるわけです。

自分自身の成長物語として、これまでの人生における様々な出来事一つ一つを「点」だとして

 

その「点」と「点」がつながって、「線」となったとき、過去のネガティブで、マイナスな出来事は、プラスに、自分自身の光に昇華されるのです。

そうやって、これまでの過去と現在が統合されると自分自身との一体感が生まれます。

自分自身のエネルギーの高まりを感じます。

 

これまで切り離していた、ネガティブな過去、マイナスな過去を受け入れることができたことで、過去との一体感を感じられます。

それは過去から、今の自分自身を応援するエネルギーをもらっている感じです。

 

過去と現在が統合されたことで、自分自身との一体感を感じてエネルギーが高まると同時に自分自身の人生に対する信頼、そして未来への信頼も生まれます。

自分自身の人生に対する信頼が生まれることで、これまでには感じられることがなかった自分自身のカラダの奥深くから、大きな安心感で包まれる感覚を得ることができたのです。

 

生きることの意味を問う必要もなく

自分がこの世界に存在していることの意味を考える必要もなく

自分自身の人生物語に気づいた瞬間

自分自身の全てを受け入れることができるようになったのです。

まるで、目の前の世界がずっと靄がかって先が見通せなかった状態から、一気にパッと晴れて、目の前の世界が広がった感じです。

 

これまで 長年続けてきた自分探しの旅は、終わりました。

これまで感じてきた違和感もなくなりました。

これまで否定し続けてきた自分自身を理解し、受け入れ、愛することができるようになりました。

全てが、腑に落ちて自分自身の人生物語を生き始めることができるようになったのです。

 

『生きながらにして、

人は何度でも生まれ変わることができる』

 

この言葉通り、自分自身の人生をストーリーの力を使って過去の再定義をすることで、自分自身の人生物語に気づき、目覚めることができるようになるのです。

自分自身の人生物語に気づくことができず、生きることができないと

それは満たされない承認欲求を満たす生き方にしかなり得ません。

 

人と比べては劣等感を感じ、
親や社会の洗脳、社会のルールや、枠組み、過去に縛られた世界で生かされ続けることによって

自己重要感を満たすことができず、まるで奴隷かのように生きなければいけない人生となります。

 

自分自身の人生物語に気づき、生きることができると

人と比べる必要もないし、誰かの敷いたレールの上を走る必要も、一部の力を持った人間がつくったヒエラルキー構造のラットレースに参加することすら必要なくなります。

自分自身の使命や天命ともいえるものが見つかるからです。

 

自分探しをしなくとも

これまでの過去の出来事を一つの流れで捉えると、自分自身のやるべきことが見えてくるし

どういった未来へ進むのか、が見えてくるし、未来への信頼も生まれます。

 

その未来は決して決まっているものではなく、常にアップデートが可能なのです。

これまでの過去の再定義をしたように、自分自身の人生物語は自分自身の意志で、いくらでも再定義が可能なのです。

ストーリーの力を使えば、自分自身の人生物語を良い方向に創造できるのです。

 

NextDimensionとのご縁を頂いたことで、最も大きな価値として得ることができたものは、自分の人生物語に気づき、目覚めることができたということでしょう。

これまでは自分の人生物語を生きることをしてこなかった。

自分の人生物語が、主人公不在で、物語が全く進むことなく止まっていたということになります。

 

自分の人生物語に目覚めたことにより、ようやく自分の人生物語の主人公として生きることができるようになりました。

自分自身を取り戻し、長年続けてきた自分探しの旅は終わったのです。

 

この経験を、自分のところで留めることなく、生きることに悩み、苦しんでいる多くの人たちに伝えることによって

一人でも多くの人が、自分自身の人生物語に目覚め、自分だけの成長物語を紡いでいけるように情報発信をしていきたいと思っています。

 

それと同時に、これまで私自身が探究してきたものである、カラダの調整、ヒーリング、エネルギーワークを活かして

カラダに刻み込まれた過去のネガティブで、マイナスな記憶を解放し心身の解放をセッションとしてやっていきたいと思っています。

 

さらに、これから始まる新時代を生き抜くために

カラダの感覚・感性を目覚めさせ、エネルギーの高い状態で生きていくことができるエネルギーの器となるカラダを取り戻すためのサポートも行っていきたいと考えています。

 

本来の自分自身を取り戻し、輝きを取り戻す

自分自身の人生物語を進めていくために重要なことは過去にとらわれないことです。

過去にとらわれないというのは、知識では理解できても、具体的な対処方法が分からないと思います。

過去の記憶は、脳にだけ記憶として刻み込まれているものではなく、カラダにも刻み込まれています。


つまり、カラダに刻み込まれた記憶を解放することも同時に必要になってくるのです。

 

以前、東京でご縁を頂いて数年ほど毎月定期的にセッションをしていたことがあります。

その時の話をさせて下さい。

 

カラダには、過去の記憶が刻まれています。

セッションでは、様々なアプローチで、凝り固まった緊張を丁寧に解きほぐしていくことで、カラダに刻み込まれた記憶を解放していきます。

そして、セッションが終了して施術ベッドから起き上がって頂くのですが、その時の変化として、最も顕著に現れるのが “目” なのです。

 

どのような変化なのか、というと

年齢は関係なく、

女性は、少女のように

男性は、少年のように

目の輝きが取り戻されるのです。


キラキラと輝いていて、純粋で、ピュアな目に変化する
のです。

その変化を目の前で何度も見させて頂いて、毎回ながら感動し、大きな喜びを感じてきました。

 

目の輝きを取り戻す、ということは
心が純粋で、クリアになったということでもあります。

それは、赤ちゃんを見れば理解できると思います。

心が純粋で濁っておらず、何らかの価値観に染まっていない状態だからこそ、まっすぐで、ピュアで、純粋な瞳をしています。

赤ちゃんに見つめられると、それだけで幸せな気持ちになりますし、癒される、という経験をしたことがあると思うのです。

純粋なものに触れると、自分自身もそれに感化されますよね。

 

私たちも、赤ちゃんのように

何らかの価値観や、ルール、枠組み、しがらみに囚われることなく、純粋で、真っ白で、ピュアな状態で生きていたときがあったわけです。

しかしながら、生きていくうちに
親の洗脳や、社会のルール、価値観などを刷り込まれていくことで何らかの価値観を作り出してしまいます。

そうやって出来上がってしまった価値観というフィルターが常にかかっていて、目の前の世界を、純粋なフィルターで見ることができなくなってしまいます。

そして、どんどん濁っていくわけです。

目の輝きを失っていくわけです。

 

赤ちゃんの目が純粋で、キラキラと輝いて見えるのは、きっと目の前の世界が輝いて見えるから、それを映し出して輝いているのです。

もし、目の前の世界が靄がかって濁っていたら、目にも、そういった状態が映し出されていると思うのです。

 

目が曇っているということは

その人自身が見ている世界が靄がかっているということです。

何らかの価値観によって作り出されたフィルターがかかっているから、靄がかっているわけです。

 

セッションで目指すところは

本来の自分自身に出会う、ということです。

 

カラダに刻みこまれた過去の記憶。

それが、カラダを緊張させ、ぎゅっと縮こまらせてしまっています。

自分自身のココロもカラダも解放することができず、自分自身の内側に閉じこもってしまっています。

それを解放することで、内側に向いていた意識が外側に解放されるようになります。

 

意識が解放されることで、様々なものに囚われた状態からカラダが解放されます。

カラダが解放されることで、ココロもカラダも自由を取り戻すのです。

 

『心身一如』という言葉があるように、ココロとカラダは表裏一体で、切り離せないものです。

カラダが解放されると、ココロも解放されるのです。

また、逆も然りです。

私がセッションで体験して欲しいことは、本来あるべき純粋で、何ものにも囚われない状態です。

 

体感的に、

何かに囚われることなく

何かに縛られることもなく

何者かになろうとする必要もなく

何かに固定化されることがない状態。

それを体験して欲しいのです。

原点回帰して欲しいのです。

 

本来のあるがままの自分自身

 

それを体験し、自分自身をリセットしてみて欲しいのです。

本来の自分自身と出会って欲しいのです。

輝きを取り戻して欲しいのです。

自分自身の中にある輝きを感じて欲しいのです。


そういった、その人の魂の輝きに触れるセッションをしていきたいと思っています。

 

最後に

私自身のこれまでの人生経験を通して感じることがあります。

それは、人は誰しもが、
素晴らしい輝きを持っている、ということです。

“輝き” という言葉が抽象的で、いまいちピンとこないかもしれません。

その場合、“輝き” という言葉を “可能性” という言葉に置き換えて頂いても構いません。

 

ほとんどの人は、その “輝き” や “可能性” を
自分自身が持っていることを知らずに生きているし、

潜在的には気づいていながらも、それをどのように引き出したら良いのかが分からないで生きています。

自分という唯一無二の存在を理解できない。

だからこそ、多くの人がこれまでの私と同じように“自分探し” をしながら生きていると思うのです。

 

自分という存在を理解し、受け入れられた瞬間、
そこから自分の人生物語が始まります。

 

自分以外の何者かになろうとする必要もなく

誰かの用意した人生を生きる必要もなく

誰かと比べて生きる必要もなく

親の洗脳や社会の価値観に従って生きることもない。

 

自分自身を理解し、受け入れられた瞬間

自分の人生を理解し、やるべきことに目覚め、進むべき方向性が定まります。

 

唯一無二の、あなただけのオリジナルな人生物語を生きることができるのです。

あなただけのオリジナルな人生物語を生きる。

それは、あなたの人生物語に触れた人が

あなたの人生物語に感化され

感化されることによって、その人の人生物語が目覚めたり、人生が進むキッカケになるのです。

 

 

あなたの生き様が、あなたと出逢う人の “光” となる。

 

誰しも、それぞれに異なる “光” を持ち合わせているのです。

その “光” が、輝きを放つためには、自分の人生物語に気づき、目覚めることが必要です。 

誰しもが、自分の周りを照らすライトワーカーとして生きることができるのです。

世の中を明るく照らすことができる力を持っているのです。 

 

一人でも多くの “光” が灯り、その光が伝播していくことによって、今の先行き不透明で、行き詰まった、不安だらけの世の中を変えることができると確信しています。

そのために、私はご縁を頂ける人と関わりながら、一人でも多くの人の人生物語を目覚めさせること、“光” を取り戻すことを自分自身の使命・天命として活動していきたいと考えています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

私のこれまでの人生が、ご縁をいただいた “あなた” の希望となったら嬉しいです。

魚住 心